隠居日録

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2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

知らないと恥をかくアフリカの問題 (アフリカの混沌の原因)

NHKラジオ第二の「カルチャーラジオ 歴史再発見」で放送されていた「アフリカは今~カオスと希望と」の第二回目。今回はアフリカの混沌の原因について内容だ。

アフリカにはかって立派な王国がいくつもあった。国家がどのように成り立っていたかというと、その始まりは農耕である。狩猟採集の生活では移動が生活の中心であり、移動のためには物を所有することが難しい。そのため、狩猟採集の生活をしているうちは蓄財というのはほとんどなかった。しかし、農耕が始まると、定住がはじまり、蓄財が発生し、物を多く持っている人が権力を持つようになる。

 アフリカの場合は8世紀頃から農耕が始まる。作るのは稗とか粟であった。そして、11世紀前後にアフリカの各地で王国が発生し始める。

一例を挙げれば、1067年にエルベクリが著した北アフリカ史という書物には、8世紀ころからガーナ―王国があり、力を持っていた王がいて、20万人ぐらい兵士を動員でき、そのうちの4万には弓矢で武装していたと書かれている。また、国内で取引される塩や金に対して税金を取っており、大臣や官僚にはイスラム教徒が多いと記されている。

下って、14世頃には大小合わせて32の王国があったといわれている。例えば、イブンバツータの旅行記によると、「マリの王は規律正しく国を治めている。王国の黒人たちの資質は優れており、彼らはほかのどの民族よりも不正を憎んでいる。王はどんな小さな悪に対しても厳しい。旅行者も居住者も泥棒や暴漢の心配をする必要もなく、治安の問題も全くない。マリの国内で外国人が死んだとき、財産がいかに莫大であろうと没収されるようなことはない」と記されている。

また、別な例であるがジンバブエ南部にも立派な王国があった。その名前はモノモタパという国であったが、今のマシンゴというところに石造りの都を建設していた。この石造りの都は9世紀から19世紀まで続いた。

1497年にポルトガルバスコダガマ南アフリカ喜望峰を回り東アフリカのソファラというモノモタパの影響下にある港町に入った。そこには非常な大きな船がたくさんあったがそれらはアラブ人の船だった。一方、ポルトガルバスコダガマの船はみすぼらしほど小さかったかった。ソファらの人々はポルトガルよりはるかに洗練された町に住み、豊かな生活をしていた。

次にバスコダガマがそこを訪れたときは、大砲を持ち込み、すべてを奪い取ってしまった。アラブ人はソファラで交易し平和的な関係を築いていたが、ポルトガル人は占領してしまったのだ。

アフリカにヨーロッパ人がやってくる前はアフリカには独自の国家があったのだが、これ以降アフリカは植民地の歴史になってしまう。ヨーロッパ人は自分たちの都合・力関係で境界を定めて、植民地にしていったのだ。そこにどんな人たちが住んでいるかの考慮が全くなく、その結果国に対する帰属意識が非常に希薄な状況を生み出してしまった。

たとえば、モノモタパはイギリスにより植民地化され、ローデシア(現在のザンビアジンバブエを含む地域)という国になったが、ローデシアには北部のショナの人たちも含まれていた。このローデシアが独立した特に、ジンバブエという国として独立した。ひとつの国にモノモタパとショナという二つの民族が含まれていたのだ。そのため、モノモタパの人もショナの人もジンバブエという国に対してアイデンティティが欠落した状態になっていた。この状況で選挙を行うと、モノモタパの人はモノモタパの候補者に投票し、ショナの人はショナの候補に投票する。何回選挙をしても同じことが起こる。ショナの人は人口の7割、モノモタパの人は人口の2.5割なので、いつもショナの候補が当選することになる。そのため、仲間うち・部族間で富をばらまいておけば、次の選挙も当選できることになるのだ。

また、イギリス領ケニアとドイツ領タンザニアの国境に関しての話だ。1884年ベルリン会議(アフリカ分割会議)があまりにも長く会議をやっているうちにドイツ皇帝のウルヘルム2世の誕生日がやってきて、イギリスの女王がドイツ皇帝の求めに応じてケニアにある万年雪のある山(キリマンジャロ)を誕生日プレゼントとして与えてしまったのだ。

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地図で見るとわかるが、ケニアタンザニアの国境はキリマンジャロタンザニアに含めるようにするために、その付近で奇妙な弧を描いている。これによって、ある日突然村の中に国境ができたり、タンザニアに併合されることになったりということが起きてしまった。現地に住んでいる人の都合など一切無視だ。

このようなことがアフリカ中で起きてしまったのだ。このような状況で、国家に対してアイデンティティが抱けるだろうか?これが、後にアフリカの国々が独立した後、非常に深刻な問題を引き起こすことになる。

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