隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

言語の本質-ことばはどう生まれ、進化したか

今井むつみ氏、秋田喜美氏の言語の本質-ことばはどう生まれ、進化したかを読んだ。本書は言語の成り立ちについてオノマトペを手掛かりに展開し、仮説を提出している。本書に記号接地問題が書かれているというのを知って、読んでみた。以前東京大学の松尾先生が「現在のAIには身体がなく、それが性能限界の理由の一つである」というようなこと(正確な発言を覚えていないので、もしかすると違ったことを言っていた可能性もある)をテレビて発言しているの見て、以前からAIにおける身体性ということが頭に引っかかっていた。

記号接地問題 (symbol grounding problem)

認知科学者スティーブン・ハルナッドが指摘した問題で、端的に表現すると「記号の意味を記号のみによって記述しつくすことは不可能である」という事だ。言語という記号体系が意味を持つためには、基本的な一群の言葉の意味はどこかで感覚と接地 (ground) していなければならないというのがハルナッドの主張である。例えば本書の例では、中国語を学ぼうとしている時に、入手可能な情報源が中国語で書かれた中国語辞典しかない場合、永遠に意味のない記号列の定義をさまよい続け、何かの意味には永遠にたどり着けないということが説明されている。実は、これは英語の辞書で英単語の意味を調べるときに往々にして遭遇する現象だ。英語の辞書の方が日本語の辞書にないニュアンスを説明している時があるので、たまに参照するときがある。そこに書かれている単語の意味が十分に理解できない場合、別な単語を調べなければならなくなり、わからない単語をその英語の辞書で調べるとまた更に別の単語の意味が不明でと、途方もない旅に出てしまう事がある。だから、この指摘は至極もっともな気して、納得できる。一方で、現在のAIのアプローチがまさに記号と記号を結び付けているだけで、それなのにもかかわらず、そこそこの成果が出ていることがある意味驚異的だ。AIは決して意味は分かっていない。

アブダクション推論

アブダクション推論という言葉は今まで聞いたことがなかった。調べてみると、アメリカの哲学者であるチャールズ・パースが、アリストテレスの論理学を基にして提唱した論理展開法のようで、規則あるいは普遍的事実と観測した結果から、原因を推測する論法である。この本に乗っていた例は、

  1. この袋の豆は全て白い (規則)
  2. これらの豆は白い (結果)
  3. ゆえに、これらの豆はこの袋から取り出した豆である (結果の由来を導出)

もちろんこれは必ずしも正しいわけではなく、仮説のうちのひとつでしかない。われわれヒトの次のアプローチはこの仮説が正しいかどうか検証することだが、AIにはそのような仕組みがないし、仮に仮説を検証するアプローチをしようとしても、それが可能な方法があるかどうかよくわからない。

チンパンジー アイの実験

本書の中で京都大学の霊長類研究所のチンパンジーアイの実験が紹介されている。それは記号と色に関するものだ。アイは訓練の結果異なる色の積み木とそれに対応する記号(絵文字)を選べるようになった。例えば黄色の積み木なら△、赤なら◇、黒なら〇というような対応付けだ。この学習が終わった後、逆の対応ができるかどうか確認したが、逆はできないというのだ。つまり△を見せても赤の積み木を選べないというのだ。われわれヒトはこれを難なく実行できるだろう。ヒトは一方向の対応を覚えれば、当然逆方向の対応付けが可能だ。しかし、チンパンジーにはできないというから驚きだ。この違いがわれわれヒトが往々にして犯してしまう誤りである因果の逆転(原因と結果の取違)の理由のひとつなのではないかと本書で示唆されているのだが、なるほどと思った。