隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

CF

吉村萬壱氏のCFを読んだ。罪の責任を取る必要がない「無化」を行ってくれる超巨大企業CFの物語。一体どのようにして無化するのかというのは、本書の中で説明されている。

二十一世紀の初頭、ルーマニアの頭脳集団「トランシルバニアの盾」に金の雨が降り(註 錬金術で、割られたユピテルの頭から立ち現れたパラッス・アテナの上に降り注いだ雨)、それによって観念の物質化と消去の技術である『ペルト加工』と『クレーメル処理』とが人類の手に落ちた。CFの技術はまさしくこれに基づいている。これによって加害者の責任が消滅する(『トリノ』の作用)ならば、それと同時に被害者の苦悩もまた消滅する(『ゾ・カレ』の働き)という事が起きる。この二つの作用は一体のものである。『トリノ』が作動すると、自己増殖の蛇であった悪は自らの尾を探す。そして尾を見付けて銜えることで円環を為し、その結果自動的に生じた回転運動を無際限に加速させた果てに、不可避的に自己消滅するのである。犯罪に伴う物理的・経済的損失もまた、物質として『クレーメル処理』される。即ちこの無への回転の渦に巻き込まれて完全無化する過程を辿る。『トリノ』の完了と同時に『ゾ・カレ』も完了し、CFのこの二つの作用が一体のものとなって、責任という恐ろしいオブセッションが完全に取り除かれるのだ。世界人類がCFの業に謙虚に身をゆだねるならば、あらゆる汚濁が浄化され、瞠目すべき静謐な平安の世界が実現するのは疑いを得ないところなのである。

こんな尤もらしい説明があるのでSF的な作品のような印象を受けるかもしれないが、これはSFではない。CF(これがCentral Factoryの略であることは215ページになって初めて出てくる)を悪とみなし、破壊活動を仕掛けようとしている男。その男に巻き込まれるように取り込まれていくキャバクラ嬢。そのキャバクラ嬢にCFビルへのアクセスキーを盗まれたCFの従業員の男。そしてその周りにいる人々。物語はCFビルへのテロ事件の顛末を描いているのだが、一体CFとは何なのかというところが物語の肝だ。一般市民の犯罪も無化し、政治家の犯罪も無化する。それにより莫大な利益を得ているようなのだが、そこで働く従業員もそれなりの賃金を得ているようで、一見すると、win-winのようにも見える。だが、責任のなくなった世界はどう考えても不自然だ。そして、物語の最後で明かされるCFの仕組みに強烈な皮肉を感じた。こんな仕組みがなくとも現実世界では責任をうやむやにしているものは多数いるだろう。だが、現実世界では被害者の悲しみ・苦しみはなくなりはしない。しかし、この物語の中でもCFの仕組みを知った後なら、どう思うだろう。