隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

アイダホ

エミリー・ラスコヴィッチのアイダホを読んだ。内容の分からない本を内容がわからないまま読むことはあるが、それは本の著者を知っている場合だ。その作者の作品ならば読むべきだろうという単純な思考だ。しかし、全く知らない著者の本はそうはいかず、少なくともあらすじや書評を読んで、興味が湧いたら読むようにしている。本を読む時間は有限だが、それに比べると出版される本が多すぎて、全てを読むことはできないからだ。この本のあらすじには、

9年前、一家が薪を取りに出かけた山で、ウェイドの前妻ジェニーが末娘メイを手にかけ、上の娘ジューンはその瞬間を目撃、ショックで森に逃げ込み失踪した。

と書かれている。当然これ以外にも書かれているのだが、どうしてもこの部分に目が行ってしまった。ネタバレになってしまうが、あえて書くと、この事件はこれ以上の詳細が一切出てこない。これは訳者のあとがきを読むとそのことは事前にわかることなのだが、今回は訳者のあとがきを読まずに、本書を読み始めた。読まなければ何が書かれているかはわからないものだ。この本を読む前は、この母親がなぜこのようなことをしたのかという事が主題なのかと思っていたのだが、この小説は母親が何をしたかという事にすら注目している小説ではなく、事件によって人生を変えられてしまった人々の物語だ。

ウェイドは遺伝性の認知症の症状が五十歳ぐらいから出始め、二人の娘がいたことも、娘の一人は母親に殺され、もう一人は失踪したこともはっきりは憶えていない。ただ、なぜかしらの悲しみと喪失感だけは感じている。事件の後に再婚したアンはそのようなウェイド気遣いながらも、事件について考え続けている。しかし、ウェイドが語らないので、アン自身も何があったか正確には知らない。母親のジェニーはただ罰せられることだけを望んで、終身刑になり、刑務所に収容されている。事件は1995年に起きたのだが、物語はその9年後の2004年から始まり、先に進んだり、後に戻ったりしながら、ウェイドの家族の過去と、アンとウェイドの現在、刑務所のジェニーについて語られていく。このように時間を行きつ戻りつするのは、ふとしたことで過去のことを思い出す人間の記憶を模しているという事が、訳者のあとがきに書かれていて、なるほどと思った。特に今回の登場人物のウェイドは認知症を患っているので、こういうこともあるのかなと思った。ただ、ウェイドの視点で物語が語られるわけではない。物語は未来の2025年まで続いていく。物語としては大きなことが起きるわけではなく、淡々と進んでいく。後半の所でジューンからウェイドの所に手紙が来て、「これは?」と思わせるところもあるが、最後まで本当に淡々と進む。正に人生の物語だった。