隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

読み書きの日本史

八鍬友広氏の読み書きの日本史を読んだ。本書は読み書きの実践がどのように行われてきたのかという事を解説した本である。文字の成立から、文字がどのように教えられてきたのかという事を明治時代までの時間軸で概説している。

寺子屋という名称

江戸時代の読み書きは寺子屋で行われていたという事はよく言われているし、私が昔使った歴史の教科書にもそのように書いてあったと記憶している。しかし、時代小説などを読んでいると、寺子屋という言葉も使われているが、「手習い」とか「手跡指南」などという言葉も出てくる。関東では手習いとか手跡指南と言い、関西では寺子屋と呼ぶのだというのを何かで読んだ記憶もあるのだが、今一つはっきりしない。本書によると、明治政府が前時代の教育の状況について調べ始めた時に、初歩的な読み書きの教育する施設のことを寺子屋と総称したため、江戸時代の読み書きをする場所を寺子屋と呼ぶようになったのだという。また、寺子屋というからお寺で読み書きを教えていたと誤解されている向きもあるが(かっては私もそのように教えられた記憶がある)、実際にはお寺でそのような事を教えられた場合もあるが、それは一部であって、江戸時代には手習い師匠と称する専門の職業もあった。

往来物

手習い所で使われたいわゆる教科書は「○○往来」あるいは「往来物」という名前で呼ばれており、「往来物」は「おうらいもの」と読む。これは手紙の応状と返状を組みとする手紙文例を収録したものが基本であり、往来物に使われる書き言葉は、言わるる候文であり、現在のような話し言葉とは全く異なったものだ。往来物は手紙の例文にとどまらず、例えば商売往来には商売において取り扱う種々の道具や貨幣の種類、雑穀の種類、商取引の実際、種々の商品名が収録されている。そして、最後に商人としてわきまえるべき心得が記されている。また、江戸の町名や在所の近隣の村名、町名も教科書的なものとして取り上げられていたようだ。

往来物は明治になっても開版されており、その数は優に1万を超えるという。

識字率

幕末あるいは明治に日本を訪れた外国人が日本人の文字を読み書きできる能力に驚いたという話はよく出てくる。しかし、これが果たして全体でどれくらいのレベルにあったかということは、そのような調査はないので、よくわからない。本書でも、実態としては、全く読み書きできないレベルから何不自由ないレベルまでグラデーション的にスペクトラムになっているのではないかと指摘している。この本の中でも色々な調査を引用しているが、全国的な調査がないので、ある地域ではどうであったかという事がわかるぐらいだ。

そもそも、寺子屋にしても手習い所にしても初学者向けなので、そこで数年学習したとしても、不自由なく手紙や文書を書けるのかと言えば、そんなことはないであろう。都市部では、識字能力はその後の就職に結びつくので、非常に重要であるが、農村部では、村役人・豪農層以外では、文字を使う機会は少ないと思われるので、不自由なく使えるレベルには達していない可能性が高いと思われる。