隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

なぜ世界はそう見えるのか:主観と知覚の科学

デニス・プロフィット、ドレイク・ベアーのなぜ世界はそう見えるのか:主観と知覚の科学 (原題 PERCEPTION HOW OUR BODIES SHAPE OUR MINDS)を読んだ。

「人は見たいものを見る」と言われるけれど、この本を読むと「人は見たいように見る」というのがより適切なのだと思う。ただし、この本は心理学の面からの解説なので、100%信じていいのかは不明だ。

坂の傾斜

著者の一人のデニスはバージニア大学内で敷地内にある坂の傾斜を被験者に推定させる実験をした。推定の方法は3つで、

  1. 研究助手とともに坂の下に立ち、助手に促されたら、自分の思う斜度を言う
  2. 全円分度器の上半分を重ねたような装置を用い、対象の坂の横断面の傾きを推定する
  3. 坂の傾きにに合わせ腕を傾けて、推定する

このうちの2番目はどのようなものかちょっとよくわからない。また、1番目のように何も行わずに推定することは私には不可能だ。唯一3番目の方法で何らかの推定が言えるような気がする。実験の結果は1の結果は実際より過大に見積もっていた。3の結果はおおむね正しかった。ところが別な日の実験では1の結果が実際の傾きを大きく上回らなかったことがあった。被験者は大学女子サッカーチームのメンバーだった。ここから導き出した仮説が、身体能力の程度(坂を上るのが物理に難しいかどうか)で見方が変わるのではないかというのだ。次に、体重の1/6から1/5の重量のバックパックを背負った被験者と、何も背負わない被験者で比較した。その結果、バックパックを背負った被験者は背負わない被験者に比べて、坂の傾斜を過大に見積もった。またランニング後に坂の傾斜を見積もったり、高齢者を集めて坂の傾斜を見積もったりもした。その結果、仮定の通り、坂道を上る能力によって坂道の傾斜が認知されているというものだった。

なぜこのようなことが起こるのかをエアロバイクでの知覚距離の実験から導いたことが書かれているのだが、どのように実験をしたのかが本書を読んでもよくわからなかった。これは原文が悪いの訳文が悪いのかは判断がつかない。結論としては身体能力が高い方が近く距離が短くなるということが述べられている。

アカゲザル代理母

ウィスコンシン大学のハリー・ハロウのアカゲザル代理母に関する実験は非常に興味深い。彼のチームはアカゲザルの子の代理母を2つ用意した。一つは木製の人形で、スポンジゴムを巻いた上からパイル地の布で覆っており、背後に設置された電球によりほんのり温かい。もうひとつは温かさはあるが金属製だ。4匹のアカゲザルの子を布製の代理母に、別の4匹のアカゲザルを金属製の代理母に振り分け、代理母には哺乳瓶を取り付けた。160日間の実験中、毎日12時間以上布製の代理母と過ごしたのに比べ、一時間に満たない時間しか金属製の代理母と過ごさなかった。これはアカゲザルの子は食物の供給源であるかどうかは意に介さず、触り心地を強く欲することが明らかになったのだ。

名誉の文化

今から30年ほど前、ミシガン大学のリチャード・ニスベッドと共同研究者のイリノイ大学のドウ・コーエンは殺人とその原因を調べた。彼らはFBIがまとめた殺人事件のデーターベースを調べ、殺人を二つのカテゴリーに分けた。一つは侮辱を含むもの(三角関係や恨みがある場合)、もう一つは含まないもの(放火殺人や強盗殺人など)。調査の結果、南部の白人の間ではアメリカの他の地域と比べて侮辱を含む殺人事件の発生率が高く、侮辱を含まない殺人事件の発生率は他の地域と変わらなかった。特に南部の小さな町では顕著だった。そこで彼らは南部出身者と北部出身者の侮辱に対する反応を調べると、南部出身者の方が怒りをあらわにし、コルチゾール濃度(ストレスや不安、覚醒と関連しているホルモン)とテストステロン濃度(攻撃的態度や支配行動と関連するホルモン)も侮辱後2倍に高まった。開拓期のアメリカの西部は正規の保安官がいなかったために無法地帯で、私的制裁を許容する「西部の正義」の実施を余儀なくさせる地域だった。

1万2千年前最初の農業革命が起きてから、土地の地形や気候により、農業に適した地域では農業を、牧畜や漁業に適した地域では牧畜や漁業をしてヒトは暮らしてきた。農業で暮らしを立てる場合は、共同作業の利点を最大化しつつ、他者の不成功は極力防ぐような方向に発達したと考えられる。一方牧畜は少ない人数でもできるうえ、近隣住民に対しても、家畜を盗む者がいないか目を光らせていなければならず、相互独立的になると考えられる。歴史学者デヴィッドフィッシャーの「Albion's Seed」でアメリカの文化はアメリカに入植した4つの異なるイギリス人グループに遡れると述べている。北東部に入植したピューリタンバージニアに入植した南部の騎士党(王党派)、中部大西洋地区に入植したクエーカー教徒、極西部と南部に入植したスコットランドアイルランド人である。このうち名誉の文化に結びついているのはスコットランドアイルランド人だ。そして、本書ではスコットランドアイルランドの子孫がアメリカ南部に入植した際に彼らとともに名誉の文化がもたらされ、現在に至るまでその世界観が一定の住民に維持されていると説明している。

この後本書では中国の例を挙げている。中国には北方人的気質と南方人的気質があり、それは長江を境に分かれているという。長江を境に北側は麦作、南側は稲作をしている。稲作は麦作と比べて労働力が必要で、常に水田に水を引かなければならず、灌漑が欠かせない。用水を引き入れる工夫も大変で、水を引く行為自体相互協調的で、村民全員に行き渡る水を確保しなければならない。田植えや収穫も多数の協力が必要だ。また、耕起は腕力が必要で、耕起は通常男性の仕事だった。耕起の負担が大きい文化は性役割が厳格で、軽い文化は男女がより平等だ。というようなことが本書では説明されている。しかし、我々現代人は既に多くの人が都市に住んでいて、このような農業・牧畜・漁業には携わっていない。にもかかわらず、このような文化的な背景が現在も我々の行動・認知に影響するとなると、その理由が何ならのだろうか?残念ならが本書では説明されていなかった。