隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

タタール人の砂漠

ブッツァーティタタール人の砂漠を読んだ。例によって、読もうと思ってから、実際に読み始めるまで時間が開き過ぎていて、なぜこの本を読もうと思ったのか今となっては明確ではないが、内容紹介にある「幻想的な作風でカフカの再来と称される」とか「二十世紀幻想文学の古典」というような言葉に惹かれて読もうと思ったのだと思う。

士官学校を卒業したジョヴァンニ・ドコーゴの中尉としての初めての任地はバスティアーニ砦だった。故郷の町を旅立った時に、友人のフランチェスコ・ヴェスコーヴィが途中まで見送ってくれた。困ったことにジョヴァンニは砦がどこにあるか正確にわかっていない。フランチェスコが教えてくれた場所に行ってみたが、そこは打ち捨てられた砦があるだけで、たまたまそこにいた浮浪者に別な砦を教えられる始末だ。はるか遠くにある砦に向かう途中、オルティス大尉と遭遇し、バスティアーニ砦は無用の国境線上にある砦だと教えられた。何ら気にする必要のない国境線で、大きな砂漠があるだけだという。大昔にはタタール人がいたので、タタール人の砂漠と呼ばれているが、それは過去の話だった。

こうして、ジョヴァンニはバスティアーニ砦に赴任するのだが、あまりにも辺鄙なところにあるので、なんとかもっと町に近い駐屯地に移ろうと思い、副官の少佐と交渉を開始する。少佐曰く、軍医に病気だという診断書を書いてもらえばそれは可能だという。4カ月ここにいれば、健康診断があるので、その時に軍医に診断書を書いてもらえばいいという。そういうことで、ジョヴァンニは4か月後の健康診断を待つことににした。

こんな守るべき意味もなさそうな国境の砦なので、バスティアーニ砦では何も起きないのだ。タタール人がいたのは大昔だし、隣国の敵が攻めてくるわけでもない。全くの退屈なところだが、この砦には何十年もここにいる士官がごろごろいる。ここに馴染んでしまうと、抜け出せなくなるかのようだ。このような状況の砦でどのような幻想小説が展開するのかと思ったら、想像していた幻想小説とはちょっと違う物語となっていった。つまり、登場人物のジョヴァンニが何か起こってくれと幻想を抱く小説なのだ。物語の中盤、何者かが国境線に現れ、工事し始め、道を作っているような状況が発生する。だが、その作業は遅々として進まない。あっという間に15年という歳月が流れる。

読み始めた時はこんな幻想小説になるとは想像もつかなかった。そして、この結末は皮肉というよりも正に不条理だった。これは幻想小説というよりも、人生の小説だ。しかも不条理な。