隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

十二人の死にたい子どもたち

冲方丁氏の十二人の死にたい子どもたちを読んだ。ある目的をもって廃棄された病院に集った六人の少年と六人の少女。合わせて十二人。なぜ、彼らの人数を十二人にしたのかは、「怒れる十二人の男たち」に合わせて作者は十二人にしたのだろう。登場人物からは、なぜ十二人という人数になったのかは語られない。彼ら十二人の目的は、この病院で同時に自殺することだった。心中ではなく、殺人でもなく、自殺すること。しかし、何かの手違いがあり、そこもう一人の少年が紛れ込んでいた。しかも既に死んでいるようなのだ。そして、誰も彼のことを知らないという。このまま自殺を決行すれば、彼を殺した受け取れかねない状況になってしまっていた。

ここから物語が動き出す。主催者の少年は、このまま集団自殺を決行すべきかどうかで、多数決を取り、決定しようと提案する。そして、純粋にこの状況に疑問を持ち、このままでは集団自殺できないと、反対するものがいて、彼らは議論を開始していくのだ。怒れる十二人の男たちの様に。

作者は登場人物に謎解きにたけた少年を配することで、本作をミステリーに仕立てているが、物語の中で彼らがなぜ死を望むのかを語らせ、最後にはその死を望んでいる状況も解決するように話を進めていく。その部分は若干引っ掛かるものもあるが、うまくまとめていると思った。

この小説を読んで、久々に十二人の優しい日本人を見た。この映画もよくできていると思う。そして、本家本元の怒れる十二人の男たちも見たくなった。

「司馬遼太郎」で学ぶ日本史

磯田道史先生の「司馬遼太郎」で学ぶ日本史を読んだ。タイトルの通り、司馬遼太郎の作品を肴に磯田先生が戦国時代、幕末・明治、そして、司馬遼太郎をして鬼胎と言わしめた戦前の昭和を語る読み物だ。

国盗り物語

まず俎上に上がるの国盗り物語だ。磯田先生は、国盗り物語を以下のように読み解く。

ひとつは、合理的で明るいリアリズムを持った、何事にもとらわれることのない正の一面。そしてもうひとつは、権力が過度の忠誠心を下の者二要求し、上位下逹で動くという負の一面。(略)

この二面性を持ったものが天下人、すなわち「公儀」という形で、戦国末期の日本に出来上がりました。司馬さんは自分に拳骨をぶつけてきた日本陸軍の「先祖」が濃尾平野から生まれてくる過程を「国盗り物語」で描き切ったのです。

ここで述べている負の面に関しては本書で何度も出てくるが、司馬遼太郎をして鬼胎と言わしめた、軍隊の暴走につながる部分で、重要な分析だ。

花神

大村益次郎について書かれている「花神」では、大村益次郎を徹底した合理主義で時代を動かすリーダとして描いたと分析しているが、それと同時に無私の精神の持ち主だったとも述べている。医者の出であることから合理主義になったのであろうと述べているが、磯田先生は明確には述べていないが、無私の精神もきっと医者の出だったからだろうと思う。それはひとえに緒方洪庵の「医戒」が医者のあり方を無私となるべきと論じているからである。

「医師がこの世に存在している意義は、ひとすじに他人のためであり、自分自身のためではない。これが、この業の本旨である。ただおのれをすてて人を救わんとすることのみ希うべし」

ここでも昭和陸軍の原型として長州藩の「凶挙」というのが述べられている。楠正成の故事を引き合いに出し、勝てる見込みがないのに、忠義・動機が大事だと情緒的な妄動を行い破滅してしまう。この部分も軍隊の暴走につながる負の面である。

明治時代

「じつをいいますと、西郷は幕府軍を倒したものの、新国家の青写真をもっていなかったのです。新国家の青写真をもっていた人物は、私の知る限りでは土佐の坂本龍馬だけでした」(『「明治」という国家』上巻、第四章「"青写真なしの新国家"」)

というのを紹介している。「徳川幕府憎し」で幕府だけを倒すことしか念頭になかったのは、何とも今から見ると危ういことで、この時に日本が瓦解しなかったのが本当は不思議なくらいだ。

鬼胎

さらに問題だったのは、日露戦争で勝った際に数多くの軍人たちが、公・侯・伯・子・男の爵位を持つ「華族」になったことです。日露戦争で下級武士出身の維新の功労者が、主君の大名や上級公家を追い越して、爵位のうえで偉くなりました。(略)

政府は日露戦争後になんと100人もの人たちに爵位を授けてしまいました。

磯田先生はこれにより軍隊を目指す若者が多くなり、軍縮には向かわず、軍部が大きくなっていたのだとし、ここが鬼胎時代の萌芽だと論じている。