隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

QJKJQ

何かの折に面白そうな本を見つけたときは、だいたいamazonのほしいものリストに追加しておく。多数溜まってきたら、エクセルのシートにコピーする。ほしいものリストは全ての本がいっぺんに見られないからだ。本を読もうと思った時はだいたいそのエクセルの一覧から選ぶのだが、「面白そうな本を見つけた時」から「実際に読む本を選ぶ時」の間に数か月も経過していると、何が面白そうだと思ったのかもうすっかり忘れている。この「QJKJQ」もそのような本の一冊だった。

佐藤究氏のQJKJQを読んだのだが、読み始めて、「これは選択を誤ったのだろうか?何がおもしろそうだと思ったのだろう?」と疑問を感じてしまった。プロローグの次は、女子高生市野亜李亜の独白という形式でストーリーは進んでいく。すぐに「マリリン・マンソン」のことが出てきて、そのメンバーの芸名がロック歌手の名前+殺人を犯した犯罪者の名前で構成されているという説明が出てきて、「おや?」と思った。そして、ほどなく亜李亜が「鹿の角」で作ったナイフ」で行きずりの男を殺す場面が出てくる。そして家に帰ると、母親が「どうして外でやってきたの?亜李亜、家にちゃんと部屋があるでしょ?」と言うのだ。

娘が殺人鬼なら、母親も殺人鬼。凶器は鉄の「シャフト」。兄は引きこもりの殺人鬼。インターネットを使いターゲットを家に呼び込み、鋼のマウスピースの「牙」で喉笛をかみ砕く。父親も殺人者。被害者の血をポンプで抜き取り、その血を飲ませる。その有様はダムナティオ・メモリアエだ。

このようなことがわずか30ページぐらいのところまでに書かれていて、「この小説はちょっとどうなのだろう」と思いながら読んでいたのだが、急にストーリーがあらぬ方向に動き出した。亜李亜が公園でじゃれる犬を見ているうちに気分が悪くなり、這うようにして家に帰ると、兄が何者かに殺されていた。しかし、直後に死体はなくなってしまった。そして、その翌日には母親が行方不明になる。そうして、殺人鬼亜李亜が探偵役となり、何が起こったのかの謎を解いていく話になるのだ。謎を解いていく過程で、今までの日常は崩れ去り、全く違った世界が見えてくる。実は私はこのような「今まで信じていた日常が壊れていき、思いもよらない真実が見えてくる」というストリーパターンの小説が好きなのだった。

本書のタイトルからは何の話なのか全く分からないし、QJKJQが何を意味しているのかもわからないだろう。これは亜李亜と父親がプレイしたポーカーの手札なのだ。亜李亜は2回続けて同じ手札を手にする。父親はその手札を「エストー・ペルペトゥア(汝、永遠なれ)」だと言う。これだけだとなんのことだかさっぱりわからないが、ここにも当然作者からの謎が仕掛けられている。

ストーリーの出だしの所では、これはどんな話になるのだろと訝しんだが、なかなか面白いミステリーだった。

騙しの天才―世界贋作物語

桐生操氏の騙しの天才―世界贋作物語を読んだ。タイトルに「世界贋作物語」とついているので、美術品に関する贋作の話が収録されていると思ったのだが、実際は詐欺師・ペテン師の話が殆どで、美術品に関する贋作の話は、

の三編だった。かなり残念。

フェルメールの贋作者

1945年の5月、連合軍はオーストラリアのアウスゼーの塩抗で、たくさんの美術品が発見された。それは、ナチスが非占領国から略奪した膨大な美術品の一部だと推測されるのだが、その中に「キリストと姦婦」という名の絵画が発見された。作者のサインはVMを連字状にデザインしたサインで、フェルメール・ファン・デルフトに違いなかった。今までわかっているフェルメールの作品リストには「キリストと姦婦」という作品はなく、これは未発表の作品かフェルメールの新作ではないかのどちらかだ。押収されたナチスの財政記録文書に「キリストと姦婦」の購入記録があり、絵はオランダの画商ハン・ファン・メーヘレンにたどり着いた。1945年5月29日オランダ警察はハンを自宅で逮捕した。罪状はオランダの主要美術品を敵国に売り渡した戦争犯罪容疑である。

ハンは自分以前の持ち主を決して白状しなかった。どうやらハンは重度のモルヒネ中毒で、次第に禁断症状が現れてきて、7月12日ついに、

「私があの絵をナチスに引き渡しただと?バカな。あれは私の作品だ!」

と言ったのだ。しかも、1937年に発見された「エマオ」を含む5点のフェルメールの作品も自分が描いた贋作だと告白した。それらの5点の作品はフェルメールの真作だと信じられており、手数料を指し引いても500万ギルダー以上が作者であるハンに行っているはずだ。かくして、犯人が犯行を自供したが検察側がそれを信じないというおかしな裁判が始まった。ハンは「キリストと姦婦」は17世紀のキャンバスの下絵をナイフで削った上に描いたので、X線で調べれば、取りきれなかった「騎馬戦」の輪郭が見えるはずだと言った。X線撮影の結果はその通りであり、キャンバスの出どころも確かめられた。それでも信じられない検察は、ハンに警察官監視の許でもう一点フェルメールの贋作を作らせることを提案したのだった。そして、ハンはそれを受け入れて、2か月で「若きイエスの神殿の教え」描きあげて、彼こそが一連のフェルメールの作品の贋作者であることを証明した。

1947年11月にハンは禁固一年の宣告を受けた。これに対してハンは獄中で絵を描くための許可を申請しただけだった。画力が評価され、実はハンの許には大量の絵の注文が殺到していたのだ。しかし、その時の彼は大金を浪費し、酒とモルヒネにおぼれた生活をしていたために、すっかり体を壊していて、とても大量の注文に応じされるような状況ではなかった。ハンは1947年12月心臓麻痺で突然この世を去った。享年58歳。物語のような人生の最後だ。

モナ・リザ盗難事件

日本ではモナリザと呼ばれているが、海外ではラ・ジョコンダと呼ばれているあの有名な絵画が1911年に盗まれた。盗んだのはイタリア人のペルージア。彼はルーブル美術館でガラスケースの工事を行っていた大工だ。実はその大工には雇い主がいたという話で、その雇い主とはブエノスアイレス生まれの詐欺師マルケスエドアルド・テ・パルフィエルという男だ。マルケスはフランス人のショドロンという贋作画家モナリザの複製6枚を作らせ、モナリザの盗難とともにそれらを売りさばいた。一枚につき30万ドルで売ったので、総計180万ドルの金を手に入れた。そして、大金を手に入れたマルケス北アフリカの保養地でのんびりと骨休めをして、ペルージアのことを放っておいた。ペルージアはモナリザを盗んだときに、マルケスから大金を入手していて、連絡をするまでモナリザを大切に守っておけという言葉を信じていた。しかし、いつまでたっても連絡が来ないので、とうとう自分で行動を起こしてしまった。

ペルージアはフィレンツェの古美術商のもとにレオナルドと名乗る男から「かってナポレオンに奪われたモナリザを取り返したので、鑑定して引き取ってほしい」という連絡を受けた。古美術商はレオナルドという男に連絡を取り、ホテル「トリポリ・イタリア」の赴くと確かにモナリザがあった。詳細に調べるとどうやら本物らしいということで、レオナルドことペルージャは逮捕されてしまった。

「イタリアへの愛国心からやったことなのに、礼を言うどころか、牢にぶち込むとは何事か」

と憤慨したらしい。イタリア人は動機はどうあれ、ペルージアがモナリザフィレンツェに持ち込み、イタリア・ルネサンスの栄光を改めて世界に知らしめたことを悪く思っていなかったので、ペルージアを罰しようという雰囲気は希薄だったらしい。裁判の結果7か月の勾留が宣告されたが、逮捕からすでに7か月が経過していたので、その場で保釈となった。

この事件のせいでホテル「トリポリ・イタリア」はホテル・ラ・ジョコンダに変わったという。