隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

英文法を哲学する

佐藤良明氏の英文法を哲学するを読んだ。本書を読んで、今まで中学・高校で学んだ英文法の中のいわゆる5文型からどこかの時点で解き放たれるべきだったのであろうという事を強く感じた。何の前提知識のない子供にとっては5文型は十分有用なのだろうが、あれはある種の便法であり、それをそのまま使い続けるのはかなり無理があると思う。

willは現在形

名詞としてのwillは「意志」を表している。そのほかに、「予測」とか「法則・習慣」というような使い方もあり、それがあたかも未来の出来事を示すのに便利なので未来形という形が作られたと本書では説明する。ここで、興味深いのは「習慣」という意味だ。英語の現在形は、継続的な動作、習慣的な動作を表すとよく言われている。ところが、動詞を過去形にすると、突如動作がスナップショットでとられた写真のようになり、一回こっきりのことになる。過去の習慣を表そうとすると、"used to"を動詞の原形の前につけないといけない。ところがもう一つ過去の習慣を表す句があり、それは"would often"だ。だが、"will"に元々「習慣」の意味があり、この場合は過去形にすると過去の習慣になるという事だ。最初、この表現を見た時「そういうものなのか」となんとなくもやもやしていたが、この説明ですっきりした。

品詞とは何か

  • Our little girl walks.
  • I'll walk you home.
  • He walked the streets all night.

最初の例は自動詞でSV的な用法、2番目は他動詞でSVOC、三番目も他動詞でSVOだ。しかし、walkは「歩」というイメージで、我々がその出現パターンで、SVなら自動詞、SVOなら他動詞としているだけだ。更に、本来は品詞をもとに構文を考えるのではなく、構文が品詞を決めているだけなのだと本書では説明している。この説明はかなり意外だったが納得もできた。結局我々には元々の単語のイメージがないから、一生懸命色々な訳語やら品詞やらを記憶しなければいけないという問題が発生しているのだろう。

不定

不定詞にはto不定詞と原型不定詞があるが、この「不定詞」という言葉が何を意味しているのかというのは、最初にこの言葉を見た時から不思議に思っていたが、誰も説明してくれなかったと思う。この不定詞という日本語訳自体は英語のinfinitiveの直訳だとは思う。この本でよると、to不定詞は、名詞になったり、形容詞になったり、副詞になったりと、「定まらない性質」と説明していて、だから「不定詞」というのだというのだ。このto不定詞の重要な性質として、時間から独立している点で、「未然」の意味を包含しているという事だ。だから、

  • I tried to open the box
  • I tried opening the box

の違いが生まれるのだろう。前者は動作がまだ起きていない・完了していないので、「開けようとした」であり、後者は動作が起きているので、「開けてみた」という意味が生まれてくる。こういうことも、昔にこう訳すものだと教えられて・学んできたと思うが、実はちゃんと理由があってこうなっているという事だ。

日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年

田口俊樹氏の日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年を読んだ。

この本は北上ラジオの第32回で紹介されていた。
田口俊樹『日々翻訳ざんげ』は最初から最後まで失敗だけの記録を綴った傑作回顧録だ!【北上ラジオ#32】 - YouTube

田口氏の名前は昔聞いたラジオに出演していたので記憶にあった。どこかにその時の録音が残っているだろうと外付けハードディスクの中を探すと、「たとえ死すともミステリー2」であることが分かった。

https://www2.nhk.or.jp/archives/chronicle/pg/page010-01-01.cgi?recId=0001000000000000%40000000000000000000000029276B00000000000000000000&hitCount=17&sort=&programPage=1&cornerPage=&keyword=%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%88%E6%AD%BB%E3%81%99%E3%81%A8%E3%82%82%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%BC&op=AND&keyword_not=&op_not=OR&radio1=05&radio2=06&radio_fm=07&year_1=&month_1=&day_1=&year_2=&month_2=&day_2=&from_hour=&from_minute=&to_hour=&to_minute=&lgenre1=&lgenre2=&lgenre3=&genre_op=AND&rec_count=30&cal_edit=www2.nhk.or.jp

放送されたのは1998年の1月で、感覚的にはもっと前のような気がしていた。これは前年に「たとえ死すともミステリー」の放送があり、そのパート2であり、前年の放送も聞いた記憶があったのだが、残っていた録音はなぜか「2」の田口氏の回と相原真理子氏の回だけだった。

この番組を再び聞いたのだが、その中で翻訳家になったいきさつが語られていた。それはこの本でも語られているところ重複する部分もあるのだが、児童劇団を辞めた後、ある映画監督に声をかけてもらい、映画に興味があったので、手伝っていた時期があったようだ。しかし、いつまでたっても映画を撮り始める気配がないし、その監督はその当時政治活動に力を入れていて、講演活動をして生活をしていたようだ。失業保険も底をつき、生活が心配になり始めたころ、大坂の中之島公会堂で講演があったときに、「田口君、今日はちょっと荒れるかもしれない。僕は万が一のために、これを持ってきたんだ」といって、コートの中から取り出したのが、なぜか十手だった。最初は冗談だと思ったのだが、どうやら真剣のようで、「これは歩く道が違うなぁ」と思い、デモシカ教師になったというのだ。

この本の内容だが、タイトルにもあるように、過去に自分が翻訳した小説を振り返り、思い出話を語ったり、誤訳について語ったりしている。以下読んでいてちょっと気になったところ。

ローレンス・ブッロク 泥棒は選べない

He was walking east on Sixty-seventh Street.

という文章について語っており、Avenueは「番街」、Streetは「丁目」と訳すと書いてある。どうやらこれは翻訳業界の慣例のようだが、田口氏もavenueもstreetも道路ある。番街はまだしも丁目と訳すのは無理があるのではないかと書いてあり、本当にそう思う。東京などは丁目が順番に並んでいるわけではないので、特にそう思う。これは不思議な習慣だ。

ウェイド・ミラー 罪ある傍観者

この中でdowntownは「市当局、警察の含み」というがあるのだという。これは知らなかった。ジーニアスには載っているらしい。

ローレンス・ブロック 聖なる酒場の挽歌

このことは父を撃った12の銃弾 - 隠居日録を読んでいる時に気づいたのだが、この本の中では、銃の口径のことを、「0.45口径」とか「0.37口径」のように書かれていて、このような表記はあまり見かけなかったので、おやっと思った。思っただけで調べなかった。今まで散々口径については見聞きしていて、なんとなくわかったつもりでいたが、よくわかっていなかった。口径なのだから銃弾の直径のことで、単位はミリとかインチだろう。45口径で単位がミリだとすると4センチ50ミリで、とてつもなく多い。まして、インチなら114.3センチになりどうやって運ぶのだという事になり、考えばこれは0.45インチのことで、1.143センチとなり、妥当な数値となる。だから本書で田口氏は「三十七」というように十を書くのはおかしいと指摘している。

ジェームズ・M・ケイン 郵便配達は二度ベルを鳴らす

この項に以下のような文が載っている。

We cut for the beach. They gave her a yellow suit and a red cap, and when she came out ...

まず、cut forというのがあまり聞いたことのない言葉だが、「~に向かう」という事らしい。で、問題は次の文にあるgaveだ。ビーチにいた誰かが彼女に水着と帽子を渡したのだろうが、具体的にはどうしたのだろう。売ったのか?貸したのか?郵便配達は二度ベルを鳴らすは何度も翻訳されていて、それを参照すると「売った(買った)」が1例、「借りた」が3例、曖昧にしているのが3例となっている。田口氏曰く、二人の経済状況を考えると買うという事はないだろうと思ったが、100%自信がなかったので曖昧にしてごまかしたというのだ。これは今では1930年代の「水着貸します」とう看板の写真が発見されて、giveは貸すという事になっているようだ。