隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

天地に燦たり

川越宗一氏の天地に燦たりを読んだ。時代は秀吉政権が全国を統一する直前から始まり、島津の琉球入りまでを描いている。本小説は三人の視点で物語が語られていく。一人は島津の侍で、大野七郎(後の樺山久高)だけが史実の人物であろうと思われる。彼は戦を厭いていながら、求めている。岩屋城に籠る紹運入道には「かなうなら覇ではなく王に仕えよ。おぬしの戦いを、生を、意味あらしめる者に」と言われる。そして主の島津久保には「人を信じればこそ、王は人の王たりえる」と言われ、「吾を佐けてくれ」ともいわれる。だが、七郎には『人ごときには無理だ』というあきらめもある。

今一人は、朝鮮の被差別民「白丁」である明鍾。儒者の同学先生に出会い「仁を具え礼を窮めれば、人となれる。仁や礼は人に生まれつき備わっていない」と教えられ、白丁であっても人唱えると信じ、儒学を治めたいと願い、同学先生に教えを乞う。

そして、最後の一人は琉球密偵である真一。真一は商人に化けて島津や朝鮮で諜報活動をし、その活動の間に大野七郎や明鍾と出会う。真一の行動原理は「誠を尽くせば、なんくるないさ」であり、それが絶対的に原則として守られている。誠を尽くしてこそ、その先にあるものを信じることができるのだ。

本書の底流にあるのは儒教の「礼」の概念だ。そのため、儒学の書からの引用が多数あり、ちょっと読みにくいところもある。だが、本書の中の戦闘シーンはよく描かれていて読んでいて面白かった。特に島津の「繰抜」という鉄砲を用いた敵陣への吶喊攻撃が新鮮だった。