隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

会計の世界史 イタリア、イギリス、アメリカ――500年の物語

田中靖浩氏の会計の世界史 イタリア、イギリス、アメリカ――500年の物語を読んだ。

私は歴史物の一冊として面白く読んだ。会計の歴史に関して書かれている本ではあるが、この本で実際の会計のことを学ぶのはジャンルが異なっていると思う。会計に関する歴史を前半は美術と、後半は音楽と絡めて書いてあるところが面白い。それと会計だけではなく経済の歴史としての側面を持っている本だ。

イタリア

この本の最初は15世紀のイタリアから始まる。イタリアは東方貿易の玄関口で、当時は非常に栄えていた。現金を持ち歩くと物騒なので、為替手形というものが流通し始めたという。為替を扱ったのがバンコで、その象徴的なのがメディチ家で、ヨーロッパ屈指の銀行業で栄える。当時のカソリックは利子(ウズーラ)を認めていなかったので、金貸しと云えばユダヤ人だったが、イタリアの銀行家はインテレッセという手数料の仕組みをひねり出し儲けていた。

イタリア商人は商品の仕入れ、販売、為替手形の管理のために記録をつける必要が生じ、それが簿記の起源になっていったという。ただし、 簿記はいつどこで誰が発明したかわかっていない。簿記と同時にアラビア数字も使われるようになっていった。記録・計算するにはアラビア数字の方がローマ数字よりも格段に便利だったからだ。

盤石と思われていたイタリアも航海技術の発達とともにその地位をポルトガル・スペイン、オランダと明け渡すことになる。

オランダ

次の物語は16世紀末スペインから独立したネーデルランド連邦共和国だ。プロテスタントの国だったネーデルランドカソリックユダヤ教にも寛容で、様々な人々が集まり、商人も集まるようになった。そこでは様々なものが取引され、アムステルダムでは市場が形成された。特にそこでは商品の終値が公表されていた。更に画期的なことはここに最初の株式会社である東インド会社が設立されたことだ。それ以前の会社の出資者は、家族・親族、あるいは仲間であったが、東インド会社の出資者は全くの第三者で、もうけを期待して出資した者たちだった。その出資者を満足させるため、事業のもうけをきちんと計算すること、もうけを出資比率に応じて分配することが求められた。東インド会社では早い段階で複式簿記が導入されていたという。

あの有名な世界初のチューリップバブルは17世紀の前半のオランダで起こったことだ。

東インド会社にも終焉の時がやってくる。それは皮肉なことにずさんな会計計算・報告、高すぎた株主への配当、不正や盗難に対するチェック機能の甘さという理由だった。更には売れ筋商品の見極めにも失敗した。香辛料・茶・砂糖の価格が下落する一方、絹織物・毛織物へのシフトができなかったことだ。

イギリス

次の舞台は17世紀のイギリス。イギリスでは16世紀の頃から森林不足になり、樹木の伐採が制限されていたという。そして、木材に代わる燃料として石炭が注目され、それが産業革命につながっていったという。イギリス各地で炭鉱が発見されたのだが、石炭を採掘すると、地下水が出てきて彼らを困らせていた。そこで排水用のポンプを動かすために蒸気機関が開発されたのだ。

そして、蒸気機関はやがて蒸気機関車を生み出した。1830年9月15日。人類最初の鉄道は港町のリバプールと新興の工業都市マンチェスターを結んだ。興味深いことは、この最初の日に鉄道による人身事故で死者が出ていることだ。下車しないように注意されていたにもかかわらず、政治家数名が勝手に下車し、そこに機関車が急接近、元商務大臣のハッキスンがレールに上に転倒し、機関車ロケット号に右大腿部を轢かれてしまった。そして、出血多量死。

蒸気機関車の誕生でイギリスにはたくさんの鉄道会社が生まれるが、そこで生まれたのが減価償却という概念だ。例えば機関車を作るのにかかった巨額の支出を、支出した期に負担させるのではなく、そこから数年費用として負担させる。これにより巨額の固定資産をしてその期が収支=収入ー支出がマイナスでも、株主に配当が可能になるように、利益=収益ー費用という計算方法が生み出されたのだ。

アメリ

第一次大戦アメリカでは戦後不況が起きた。戦争が成長のチャンスを与えたが、戦後には過剰設備の試練が襲い掛かったのだ。第一次世界大戦前は規模を拡大していた企業は、第一次大戦後は効率を目指す必要が出てきた。1919年シカゴ大学の教授のジェームズ・マッキンゼー管理会計という名の講座を始めた。そこでは予算管理が教えられた。予算は会社の製造・販売部門を効率よくして儲けを出す仕組みで、無駄な在庫や売り損じを防ぐ役割を果たした。シカゴ大学管理会計講座は評判を呼び、「予算管理」の内容をまとめた本をマッキンゼー教授は出版し、最終的にはコンサルティング会社を立ち上げた。

本書の中でデュポン公式というのが紹介されていた。20世紀初めにデュポン社の社長に就任したピエール・S・デュポンは「投資に見合った利益という観点が重要ではないか」と考え、ROI(Return Of Investment)という指標を生み出した。一時期ROIという言葉をよく耳にした覚えがあるのだが、それは100年も前に生み出されたものだったとは驚きだ。以下がROIであるデュポン公式だ。

 \frac{利益}{資本} = \frac{利益}{売上} \times \frac{売上}{資本}

ここで、 \frac{利益}{売上}を利益率、 \frac{売上}{資本}を回転率と呼ぶ。この利益率と回転率にそれぞれ目標値が決められていて、2つの目標値でROIが管理されていたのだ。ここで資本とは投資の大きさで、大きな投資には大きな売り上げが求められるということだ。この考えは元々鉄道会社で使われていたのだが、それをデュポン社が取り入れたものだという。