隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

国語教師

ユーディト・W・タシュラーの国語教師(原題 Die Deutschlehrerin)を読んだ。タイトルの国語教師とはマティルダ・カミングスキーのことだ。彼女はインスブルックの女子校で国語教師をしている。彼女の勤める聖ウルスラ女子ギムナジウムが「生徒と作家のワークショップ」に参加し、その学校を作家のクサヴァー・ザントが担当することになったのだった。実はその二人はかって恋人同士であり、その期間は16年にわたっていた。物語の出だしは、クサヴァーがワークショップを担当することになり、日程を決めるためにマティルダにメールを送るところから始まるのだが、クサヴァーは訪問先の学校の担当者がマティルダであると知ると、積極的になり、再会を期待している様子がうかがえる。一方、マティルダはあくまでも事務的にメールに返事を返している様に描写されている。それもそのはずだ。クサヴァーはある日唐突にマティルダを捨て、いなくなってしまったことがメールのやり取りで明らかになる。その当時、マティルダは子供が欲しく、結婚もしたかったが、クサヴァーはそのようなことには興味がなく、責任を持つのも嫌がっていたことが、メールからわかってくる。しかし、更に進んでいくと、実はクサヴァーがマティルダを捨てて、金持ちの娘と結婚したことが明かされるのだ。だが、クサヴァーはその金持ちの娘とも長続きせず、離婚してしまう。そして、その離婚の原因が二人の息子のヤーコプの誘拐事件であり、結局ヤーコプは未だに見つかっていないということが明らかになった時点で、俄然ミステリー色が濃くなる。一体ヤーコプに何が起きたのか?

物語は、最初二人の間で交わされるメールで、その後は時間が前後しながら、再開したあとの二人の会話、二人が作り出した物語が挿入する形で進んでいく。クサヴァーは自分の祖父をモデルにした物語を語り、マティルダは子供を誘拐した女の話を語る。息子のヤーコプはベビーシッダーがちょっと目を離したすきにいなくなったということなのだが、マティルダは何か知っているということなのだろうか?と疑問に思いながら読み進めた。この辺りは当然作者の目くらまし的な記述が散りばめられていて、小説の記述をそのまま信じてはいけない。

この物語の一つの主眼がヤーコプの誘拐事件ではあるが、それだけではなく、なぜクサヴァーはマティルダのもとを去ることになったのか?も重要なテーマなはずだ。クサヴァーとはどんな生い立ちなのか、それを浮き上がらせるために、クサヴァーの祖父の物語が挿入され、そのことが彼の一族と彼にどう影響したのかが語られていく。そして、マティルダも母になりたい、妻になりたいという気持ちには、強い動機付け・理由があり、そのためにマティルダの生い立ちも語られる。そして、二人がどのように生活していたのかも。結局これは二人の愛憎の物語でるというのが、読後の感想だ。愛が強いのか、憎が大きいのかは最後の最後まで分からない。