隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

思考実験 科学が生まれるとき

榛葉豊氏の思考実験 科学が生まれるときを読んだ。

本書の前半で思考実験とはどのようなものかを説明しているのだが、科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで - 隠居日録に関する別な観点・著者からの言及もあった。キリスト教には「自然界に普遍的な因果法則を見出したい」という考え方があり、その背後には「神は世界を創造され、そこに法則を置かれた、それはいかなる意図によるものか読み解きたい」という考え方があるのだという。「天と地を生み出した全知全能の創造主は、2冊の最も重要な書物を我々の目の前に差し出された。一冊は自然という書物であり、もう一冊は聖書である」という見方だ。17世紀の科学革命の頃からこういう考え方が主張され、自然の研究をすることは神の意図を読み解くことになると考えられたという。この考え方にしても、宗教的な背景のあるものが科学を研究したというのが正しい論理展開で、科学者が神を信じたというのは因果の逆転だろう。

思考実験とは仮説演繹法(アブダクション)を実際に実験することなく行う事である。では仮説演繹法とは以下のステップを行う事である。

  1. 観測事実に基づき、共通に発生していることなどに着目して、仮説を立てる (帰納法)。
  2. その仮説から生起する現象を予測する (演繹法)。
  3. その予測が観察事実と一致するか調べる (実験→思考、因果の連鎖を辿って推論し、演繹する)。

本書の3章から8章に多数の思考実験の例が紹介されている。

シュレディンガーの猫に対する量子力学古典力学切断

エルヴィン・シュレディンガーの閉じ込められた猫に関する思考実験はあまりにも有名なので、詳細は書かない。この仮説の「切断」という意味は以下のとおりである。放射性物質の崩壊の観測は、α粒子 → ガイガーカウンター → ハンマー → 瓶の毒 → 猫という順序で行われるが、この観測のうちどこまでが「観測対象」で、どこからが「観測装置」と認識すべきか。つまり、どこまでが量子力学で、どこからが古典力学なのか。この観測の連鎖のどこに二つの切れ目がるのかを探すことを「切断」と呼んでいる。シュレディンガーの猫に対して思考実験を行うと、

  1. 仮説からの演繹 同じような箱を多数用意して観測すると、開けた時に猫の死体が入っている箱が半分、生きている猫が入っている箱が半分となる。箱が一つの場合は生死の確率が1/2となる。
  2. 操作法的な演繹 途中で箱を覗くと、生死どちらかの猫が発見され、重ね合わせの猫は発見されないはず。しかし、重ね合わせではないと1時間後の確率は1/2にはならない。
  3. 結論 マクロの世界では、重ね合わせの原理は不適切かもしれない。
射撃室のパラドックス

次のような状況を考える。あなたは独裁者に背いた罪で捕虜収容所に入れられた。そこでは捕虜の処刑について次のようなルールがある。新しく処刑室に入室した捕虜は2個のサイコロを振る。1のゾロ目が出れば、兵士の一斉射撃で処刑室内の捕虜は全員処刑される。しかし、それ以外の目が出れば、捕虜は全員保釈される。そして、全員保釈された後は、それまでに保釈されたすべての捕虜の9倍の人数の捕虜が新たに処刑室に入れられ、またサイコロを振って、全員処刑か全員保釈かを決める。全員保釈が続く限り、これが永遠に繰り返される。全員処刑が一度行われると、この処刑は終了する。

この部屋であなたが助かる確率はどれくらいか?

1のゾロ目が出る確率は1/36なので、助かる確率は1-1/36=35/36となる。次に全員保釈された後に新しく入れる捕虜の数は、

  • 最初は1人
  • 2回目は1x9=9人
  • 3回目は、(1+9)x9=90人
  • 4回目は、(1+9+90)x9=900人
  • 5回目は、(1+9+90+900)x9=9000人

では処刑される人数と率は

  • 最初は1人で、1/1=100%が処刑された。
  • 2回目は9人殺される。この処刑室に入ったのは(1+9)=10人なので、9/10で90%が処刑された。
  • 3回目は90人殺される。この処刑室に入ったのは(1+9+90)=100人なので、90/100で90%が処刑された。
  • 4回目は900人殺される。この処刑室に入ったのは(1+9+90+900)=1000人なので、900/1000で90%が処刑された。
  • 5回目は9000人殺される。この処刑室に入ったのは(1+9+90+900+9000)=10000人なので、9000/10000で90%が処刑された。

以上の考察から、本書では次のような思考実験を展開している。

  1. 仮説からの演繹 私が助かる確率は35/36。
  2. 操作法的な演繹 全体では90%が殺される(10%としか助からない)。
  3. 結論確率はいずれの視点に立つかで全く違う結論になる。

と書かれている。しかし、自分が何回目に処刑室に入ろうが、助かる確率は35/36であり、それを、この処刑全体でみると90%が殺されていることと比べても意味がないと思うのだが。