隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

虚構推理短編集 岩永琴子の出現

城平京氏の虚構推理短編集 岩永琴子の出現を読んだ。前作を読んでから3年も経過しているので、前作の事はあまり記憶に残っていないのだが、前作を読んでいなくても、本作を読むのに問題はなかった。ストーリー的には完全に独立した短編集になっている。

妖怪や化け物から相談を受ける「知恵の神」である岩永琴子と件と人魚を食べたことにより、予知能力と不老不死の力を得た桜川九郎のコンビのミステリーのような物語。前作は怪異をあらゆる理屈・屁理屈を用いて怪異ではないとして倒したというような記憶があるのだが、それから比べると本作の短編はよりミステイリー寄りになっているだろう。収録作は「ヌシの大蛇は聞いていた」、「鰻屋の幸運日」、「電撃のピノッキオ、あるいは星に願いを」、「ギロチン三四郎」、「幻の自販機」の5編。

今回のストーリーは妖怪から岩永琴子が頼みごとをされて、それを解決するために謎を解いたり、理屈をこねたりというストーリーになっているのだが、「ギロチン三四郎」がミステリーとしては面白かった。日本に唯一存在するギロチンが時を経て付喪神となっていた。そのギロチン三四郎から持ち込まれた疑問が今回の謎。そのギロチンの持ち主宮井川甲次郎があるはずみである男を殺してしまった。甲次郎はその男の首をギロチンで切り落とし、「これで大丈夫なはずだ」とつぶやいた。そして、警察に自首したのだが、警察には「前から一度ギロチンで人間の首を切ってみたかった」のでギロチンを使ったと言った。しかし、ギロチン三郎はなぜ甲次郎がギロチンを使って「これで大丈夫なはずだ」とつぶやいたかを疑問に思い、岩永琴子に調べてほしいと依頼してきたのだ。設定は結構むちゃくちゃなのだけれど、これをうまいこと説明している。

前作の記憶があまり残っていなくて、もう一度読んでみたくもなったのだが、前作と本作はかなり違う印象を受けた。しかも、本作は岩永琴子と桜川九郎のラブコメ的な要素も入ってきていて、前作はそんなのだったかなぁ?という疑問が湧いている。

乗客ナンバー23の消失

セバスチャン フィツェックの乗客ナンバー23の消失(原題 PASSENGER 23)を読んだ。

ドイツ人の潜入捜査官マルティン・シュヴァルツはある出来事をきっかけに、本当に命知らずの危険な任務に就いていた。そして、今回も危険な潜入捜査を終えたところに、見知らぬ相手から電話ががかってきた。あの事件、5年前の「海のサルタン号」で姿を消した妻子にかかわる情報を持っているという人物から。マルティンは全てを投げ出して、海のサルタン号に乗船すべくイギリスのサザンプトンに向かった。謎の人物は直接会わないと情報を明かさなというからだ。そして、その海のサルタン号では2か月前に行方不明になっていた少女が忽然と姿を現したところだったのだ。いったいどこにいたというのだろう?

こんな出だしで始まる乗客ナンバー23の消失であるが、ストーリーが二重、三重に絡み合っていて、作者の仕込んだ罠にはまること間違いなしのミステリーだ。最後の最後まで、作者の仕掛けが施されている。残りのページ数がかなりあるのに、ストーリーの終わりが見えてきて、あれ、と思っていると、もうひと波乱あるという、実に飽きさせない構成になっている。しかも、謝辞の後にエピローグがあるという不思議な構成になっている。世界の海を周遊する豪華客船という隔離された世界。だがその世界は途方もなく大きい。どこかに隠れる場所があっても不思議ではないが、長期間隠れることなの可能なのだろうか?様々の謎を散らばめて、最後まで一気に読み進められるよくできたストーリーになっている。