隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

機械カニバリズム 人間なきあとの人類学へ

久保明教氏の機械カニバリズム 人間なきあとの人類学へを読んだ。

読後の感想は、どうもタイトルが分かりにくく、内容とかみ合っていないような印象を受けたというものだ。ここでいうカニバリズムとは南米で行われている食人習慣だが、ヴィヴィエイロス・デ・カストロの言葉を引用して「他者の視点から自らを捉え、自己を他者として作り上げるための営為」だと定義する。そして、その考えを敷衍して、「情報処理機械という他者の視点から自己を捉え、機械が処理するデジタルな数列と自らの生を結び付けることで、機械の能力を自らの心身に摂取していくことを機械のカニバリズム」と定義している。ここで「機械が処理するデジタルな数列と自らの生を結び付ける」と言っているのだが、具体的なデジタルの数列と生を結び付けるような分析は無く、この部分が筆者が当初何を意図していたのか最後までわからなかった。

また、「人間なきとの人類学」の意味するところも「複数の文化を俯瞰する根拠となる『経験的ー超越論的二重体』としての人間をあり方を前提としない比較のあり方」であり、この説明を読んでもすぐにはパッとわからりにくいし、この説明を見る前にイメージしていたものとも程遠かった。

とはいっても、本書の中で分析されている将棋電脳戦関する分析は面白かった。特に人間の思考は流れ・線の様にイメージされるが、コンピュータによる手筋の読みは局面が進むごとに変わるので点であるという表現は興味深かった。