隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

平城京のごみ図鑑

平城京のごみ図鑑を読んだ。タイトルを見て、「おや?」と思って読み始めたのだが、今までにない視点が得られた。本のタイトルにある通り、この本で解説されているのは奈良時代平城京についてである。

遺物の大量発掘はゴミ捨て場から

地面の下から過去の建物などの遺構が見つかることがある。また、同時に遺物などが大量に発掘されることもある。今まであまり考えたことがなかったが、実は、遺物である考古史料や出土文字史料、土坑や溝から得られた自然物の多くが、人が捨てたり、埋めたりした「ごみ」だというのだ。つまり、もともとかたまって捨てられていたので、一か所から大量に発掘されるということだ。ゴミは、穴を掘って埋める、水に流す、井戸に捨てるというのが主な方法のようだが、井戸に捨てる場合は、敷地の移転などでその井戸が使わなくなった場合で、わざわざ穴を掘る必要がないことから、格好の捨て場だったようだ。

リサイクル

当然当時もリサイクルはされていて、土器の破片は硯に、使い終わった木簡・土器・瓦は落書き帳の代わりに、旧都の瓦は信徒の瓦に使ったりした。また、柱をくりぬいて排水管に使ったり、使わなくなった盾を井戸の枠に流用している例もあるということだ。

木簡

文字が記された木材が発掘されると「木簡」と呼ばれるが、正確には、(1)発掘調査で見つかり、(2)木であり、(3)文字が書かれていることが必要条件とされている。紙より木の方が安価だったということもあるが、木には紙にはない利点があり、使い分けていたようである。木は表面を削れば再利用できる。また、丈夫で傷みにくいので、荷札や付札に適していた。

また、リサイクル的な話になるのだが、どうやら当時は大をしたときに、籌木という割りばしのような棒で肛門の周りを拭いたようで、それにリサイクルされることもあったようだ。しかし、木の棒で肛門の周りを拭く(あるいは拭う)のかなり痛いのではないかと思う。

木簡に書かれている文字などから当時の食生活の様子もわかってくるようだが、木簡に「牛乳持参」と書かれていて、「もうその当時からすでに牛乳を飲んでいたのか?」と思ったのだが、よく考えるとこれは蘇の原料なのだろうな。加工して輸送していたというような印象を持っていたが、原料そのものを輸送している場合もあるということか。