隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

隣のずこずこ

柿村将彦氏の隣のずこずこを読んだ。この本で語られている物語は民話のようだ。何の前触れもなく不思議なことが起こり、何の説明もなく物語は終息を迎え終わっていく。そこには何の教訓じみたこともない。怪異は怪異であり、それだけだ。

舞台は関西地方のどこかの田舎町である矢喜原。周りを山に囲まれた典型的な田舎町である。その矢喜原に権三郎狸が現れた。何の前触れもなく、急にある年のゴールデンウィークに。最初に見つけたのは菅原綾子だった。そのことを住谷はじめ電話で知らせてきて、そして同じく中学三年生の同級生の森田友和の家に集合することになった。綾子が言うには、権三郎狸は女の人と一緒に待田旅館にいるというのだ。3人は待田旅館に出かけて行って、本当に権三郎狸かどうか確かめるのだった。

権三郎狸は昔話のような民話のようなもので、その地方に伝わっている話だった。ある村に若い女の人がやってきて、お金をあげるから村に置いて欲しいと頼んだ。お金もくれるし、器量もいい若い娘だし、仕事も手伝ってくれるので、村人もすっかりなじんだのだが、ひと月すると女は村を去っていった。村太は大層別れを悲しんでいたところ、今度は狸がやってきて、大きな口で全ての村人を呑み込み、口から火を吐き、村を焼き払って去っていった。その狸が権三郎狸なのだ。そして、町田旅館にいた狸は外見は1メートル半ぐらいの高さの信楽焼の狸だった。だが、なぜか動く、そして口から火を吐く。町の人々はすっかり本物の権三郎狸だと信じるのだった。

物語は住谷はじめの語りで進んでいく。手に角材を持っているので、表紙の絵の左にいる少女が住谷はじめだろう。そして、右にいるのが権三郎狸だ。こうして改めて表紙を見ると、はじめと狸の伸長差が割とあって、本文中にはそんなことは書かれていなかったが、はじめは1メートル70センチぐらいになるような気がする。ストーリーは5月の終わりには、なんとなくみんな権三郎狸に飲み込まれて、町は焼け野原になってしまうことを受け入れてしまったような状態で進んでいく。だが、一人荻野恵美だけは何とか抵抗しようとしていたのだ。そして、はじめもこのままではいけないと、無い知恵を絞って行動を起こすのだが。

タイトルにある「ずこずこ」は権三郎狸がが歩くときに立てる音なのだが、ずごずこってどんな音なのだろう?

最初に書いたようにこれは民話のような話だ。だから、何の教訓めいたことも語られない。そして、起こることは起こる。避けられないことは避けられない。それに棹を差そうとしたはじめだが、物語は意外な方向に進んでしまうのだ。何とも不思議な話だ。ただ、結末は本書の中では明確に語られていないので、どうなったのかはわからない。