隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

ニュートンのりんご、アインシュタインの神 -科学神話の虚実-

アルベルト・A・マルティネスのニュートンのりんご、アインシュタインの神 -科学神話の虚実- (原題 Science Secrets The Truth about Darwin's Finches, Einstein's Wife and Other Myths)を読んだ。本書は科学者や科学についいて巷間に流布していて半ば伝説のようになっている事が、実は全くの作り話であるということを詳細に検討した本である。日本語のタイトルに出てくる科学神話と英語のオリジナルのタイトルに出てくる科学神話が異なっているものであることも興味深いところだ。

ガリレオピサの斜塔

ガリレオピサの斜塔から重い鉄球と軽い鉄球を落として同時に地面にぶつかる実験をしたという話は多くの人が聞いたことがあると思う。実はこれがそもそもは作り話だというのだ。

この話が最初に現れたのはガリレオの晩年に、視力を失い、異端審問会議で有罪になり、自宅に幽閉されていた1639年から1642年に秘書として仕えていたヴィンチェンツィオ・ヴィヴィアーニによるガリレオ伝だという。ヴィヴィアーニが原稿を書いたのは1654年から1657年の間のどこかで、その60年も前にあったことを書いたのだが、自分では目撃していない出来事だった。

また、異端審問会議で「それでもそれは動いている」といったのも証拠は存在しなく、作り話だろうということだ。

ニュートンとリンゴ

ニュートンが1666年にウールスソープの自宅の庭でリンゴが落ちるのを見て閃きを得、万有引力について考えるようになったというあまりにも有名な話がある。これが全くの作り話であるというのは、私も若い時期に何かの本で読んだ記憶があった。これが作り話であることは本書でも書かれているのだが、ニュートン本人から聞いた人はおらず、常に第三者を介しての伝聞として記録されているのだ。だから、この話は作り話であろうということだ。

ニュートン錬金術に傾倒していたということも最近は色々なところで言及されていると思うが、1997年の「アイザック・ニュートンー最後の魔術師」でマイケル・ホワイトは「重力の理論にとっての霊感の大部分は(リンゴの落下の話)、その後の錬金術研究に由来する事実を隠すためであることはほぼ確実である」と述べているようだ。

ダーウィンと進化論

ガラパゴスのフィンチがダーウィンに進化について考えさせる決定打になったという話も真実ではないらしい。ビーグル号航海記の第二版に「互いに近縁である鳥の小規模な一群における構造の漸次的変化と多様性を見ると、この群島に元々いたわずかな鳥から、一つの種が選ばれて色々なものに変化したと本気で想像してもいいかもしれない」と加えられているからだ。ビーグル号航海は1835年で、航海記の第二版に書き加えられたのは1845年だ。また、1859年の「種の起源」でも進化の証拠としては取り上げていない。

また、ダーウィンガラパゴス固有の巨大ウミガメを進化論に基づいて考えたといわれているが、これも決定的な証拠がない。当時ダーウィンは甲羅の形がドームかサドルの形かに基づいてカメの種を区別できる可能性には、注意を払っていなかった。かれはガラパゴスで見たカメがインド洋のカメと同じ種だと推定していた。ガラパゴス諸島から出発する前に30もの巨大リクガメを捕獲したが、ただ食料として捕まえたにすぎず、イギリスに帰還する前にことごとく食し、甲羅と骨は海に投げ捨てていた。

ベンジャミン・フランクリンと凧の実験

ベンジャミン・フランクリンが雷鳴轟く中で凧を揚げ、雷が電気であることを実験で示したという話も事実ではないという。ベンジャミン・フランクリンがそのような実験をした証拠がないというのだ。ベンジャミン・フランクリンは「ペンシルバニアガゼット」という新聞を発行していたのだが、1752年の10月に凧の実験の短い説明を載せた。この時の記事は曖昧で、いつ、フィアデルフィアのどこで、実験されたかはっきり記しておらず、証人のこと触れていず、しかも、自分で実験したとは書かれていなかった。

しかも同年の5月にマルリ⁼ラ⁼ヴィルでの数人が、先の尖った40フィートもの鉄の棒を使って嵐の雲が電気を伝えてくるかどうかテストしていた。雲が頭上を通過したとき、鉄の棒から電気の「火花」を抽出したのだ。このグループは「 トマ・バリダール他」と言われている。