隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

謎解き 聖書物語

長谷川修一氏の謎解き 聖書物語を読んだ。

本書のタイトルになっている聖書だが、この本で扱っているのはいわゆる旧約聖書のこと。聖書を実際に読んだことはないが、その中の物語、例えば創世記、ノアの箱舟バベルの塔出エジプトなどのエピソードは映画などで見たことがあるので、なんとなくなじみがあるが、どのように旧約聖書が成立していったかについては全然知らなかったので、本書は興味深かった。

選集としての旧約聖書

旧約聖書は一冊の本の形をしているが、その中の物語の著者も、ジャンルも、書かれた時代も異なるものが一冊にまとめられているだけで、決して統一された書物ではない。本書の中では同じ物語が別な語られ方をして、しかも内容がちょっと違うという例がいくつも書かれている。これらも、もともとは別々な伝承を一つのところにまとめた時に、内容の統一性を考えずに、合体させたことの名残だと説明している。

また、旧約聖書の内容もキリスト教ユダヤ教では異なっており、更に言うとカソリックプロテスタントでも内容に違いがあるという。また、共通の内容であっても、それぞれの宗教では配列が異なっている。

ダビデ・ソロモンの統一王国

紀元前10世紀ごろダビデは周辺の敵を従えて広大な地域を支配支配していた古代イスラエルの王であった。ダビデの死後その子のソロモンが王につき、支配地からもたらされる収入と、海外交易からの利益により、国は大変栄えた。ソロモンが建設したのがエルサレムヤハウェ神殿で、これは新バビロニアにより破壊された。

ソロモンの死後、国家は二つに分裂し、ソロモンの子がエルサレムを中心に支配を続ける南ユダ国と、ソロモンの家来が反乱を起こし、北に起こした北イスラエル王国になった。北イスラエルは南ユダよりも国土が広く、肥沃な平野部を支配していたので、国力が強かった。しかし、紀元前8世紀ころアッシリアにより滅ぼされてしまった。その時に北イスラエルの一部の人々が南ユダに逃げてきたと考えられている。そして、その時北イスラエルの伝承(北の地域のこと、英雄のこと、預言者のこと)が南に伝えられ、それが結果的に旧約聖書に取り込まれたと考えられている。特に「出エジプト」のエピソードは預言者ホセアやアモスについての伝承であるホセア書・アモス書にも登場し、北から南に伝えられたと考えられている。

出エジプトのエピソードは以下のバビロン捕囚時代の南ユダの人々だけではなく、後のユダヤ人にも、また旧約聖書を引き継いだキリスト教徒にも大きな影響を与えた。その影響とはやがて神により解放される日が来るのだという信仰だ。代表的な例はアメリカにおける奴隷解放だという。

バビロン捕囚と聖書成立の経緯

紀元前587年から586年にかけて新バビロニア王国が南ユダ国を滅ぼし、南ユダの人々はバビロンに連れていかれ、強制的に住まわされた。いわゆるバビロン捕囚だ。このバビロン捕囚は紀元前539年にアケメネス朝ペルシアが新バビロニアを滅ぼすまで約50年間続いた。旧約聖書の中の創世神話は南ユダの人々がメソポタミア文明の中心地に連れてこられて、アイデンティティを保つために作られたというのが、有力の説のようである。自分たちの神であるヤハウェが天と地を創造し、人間を作った神だとし、自分たちが新バビロニアに滅ぼされたもの、他の神々を拝んで悪いことをしたため、ヤハウェが罰を与えたのだと説明したのだ。新バビロニア多神教の国だったので、南ユダヤの人々が他の神を信仰することを戒める必要もあった。

また、バビロンの捕囚から再びエルサレムに戻った人々にとっては、この出来事は第二の出エジプトともいえる出来事になり、ヤハウェが再び約束の地であるパレスチナに導いてくれるという信仰を強めていったと考えられている。