隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

逆転のイギリス史 衰退しない国家

玉木俊明氏の逆転のイギリス史 衰退しない国家を読んだ。本書はイギリスの歴史について、特に経済の観点から記述した本なのだ。「逆転」とタイトルについているのは、世界の覇権がオランダからイギリスに移り変わっていたことをさしているのだろうが、その後覇権はイギリスからアメリカに移っていき、そのことに関しても本書で触れているので、単純に「逆転」という言葉でまとめることはできないのではないかという感想を持った。

大航海時代アントウェルペン

15世紀から17世紀中ごろまでの時代を日本語では「大航海時代」と呼ぶが、これに相当する言葉は英語では"age of discovery"と呼ばれているようで(著者は"The age of Great Discoveries"と本書で書いているが、検索したがヒットしないようで、そのような表現はないようだ)、この日本語は英語の直訳ではなかったのは知らなかった。

いわゆる大航海時代に先鞭をつけたのはスペインとポルトガルだが、経済的に栄えていたのはオランダのアントウェルペンで、そこにはイベリア半島での迫害を逃れてきたユダヤ人をはじめ、自由な気風がヨーロッパの多くの人々(ケルン商人、ポルトガル人、イングランド人)を引き付けていた。

イギリスの台頭

1642年のピューリタン革命後イギリス議会を押さえたのはクロムウェルで、クロムウェルは1651年に重要な法律を公布した。それは航海法で、イングランドの船か現地の船で輸入することを定めた法律だ。これはオランダの中継貿易を排除することを目的としていた。そして、これが原因で英蘭戦争が1562年から1564年に勃発することになる。また、1564年にクロムウェルは消費税を導入した。戦時には国債を発行し、その返済のために消費税が重要になっていったのだ。消費税は生活必需品を避けながら、奢侈品にかけられた。それは、製品に対する需要が、所得の増加以上のスピードで増大することを意味する。つまり、経済の成長以上に税収が増大するのだ。

フランス革命ナポレオン戦争の影響

フランス革命とその後の戦乱(1793年~1802年)とナポレオン戦争(1806年~1815年)はオランダに決定的な影響を与えた。オランダはフランス革命により占領され、バダヴィア共和国になった。そして、ヨーロッパ最大の海運国はオランダからイギリスに変わった。アムステルダムの商人の一部はハンブルグに移住した。十数年間にわたりヨーロッパ大陸が戦場になったので、イギリスが安全な投資先になり、イギリスの工業化に大いに役立った。ナポレオンは、イギリスを経済的に封鎖しようと1806年に大陸封鎖令を発したが、それは失敗に終わった。イギリスの製造部門が、消費財の輸出に重点を置く軽工業から、軍需品生産を行う重工業へ中心を移すという結果になったのだ。1792年にはロンドンの市場がアムステルダムの金融市場に従属していたが、1815年にはアムステルダムの市場がロンドンに従属するようになった。

以下の一人当たりのGDPの推移をみると、18世紀末から19世紀初めのイギリスのカーブはさほど傾いておらず、20世紀に入ってから急速に大きくなっていくのがわかる。
ourworldindata.org
産業革命という名前がついているが、経済成長自体は革命的には大きくなっていないというのは意外だった。

本書の236ページに、「イギリスのメイ首相(2016~2019)が、EUに残るか離脱するかの国民投票をしたのは、このような状況下であった」と書かれているが、EU残留・離脱の国民投票を実施したときのイギリス首相はデービット・キャメロンで、EU離脱過半数となったことから辞職して、テリーザ・メイが首相に付いたというのが実際あったことだ。つい最近の事なのに著者はなぜ間違えたのだろう?