隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

名もなき王国

倉数茂氏の名もなき王国を読んだ。この小説は私小説的な感じで、埋もれてしまっていた幻想文学作家である沢渡晃を掘り起こしたという体裁で物語は始まるのだが、何とも不思議な構成になっている。

「序」を読むとそういう構成になっている。作者の私と、友人の澤田瞬が瞬の伯母でもある埋もれていた老作家沢渡晶を掘り出したというようなことが書かれている。それに続く、「王国」では私と澤田瞬との出会い、澤田瞬と沢渡晶の過去、そして、私と私の妻藍香のことが私の視点と第三者の視点を混ぜながら語られる。P26ページから私が語る次作の小説のアイディアである「夫婦の物語」があまりにも自分の経験したことと似ているとして、瞬が激高するのだが、続く「ひかりの舟」で語られる瞬とその妻未爽のエピソードはそれほど似ているのだろうかと疑問に思ったのだが、これも著者の作為のうちだろう。この章は完全に第三者の視点で語られている。

つづく、「かってアルカディアに」、「燃える森」、「掌編集」は沢渡晃の作品を収録している。「かってアルカディアに」はどこかの隔絶した町の話。何者かに監視されていて、外部との交通が遮断されている。外からやって来た男は澤田瞬を思わせるのだが、そうだとすると時間軸がねじれていて、奇妙な感覚を味わう。「燃える森」は幻想文学というより、沢渡晃の自伝的小説風の作品。晃が大学生の頃家に匿った男と兄の毅彦の物語。

そして、掌編集の後に「幻の庭」が収録されている。これは沢渡晃の作品ではなく、また私の視点に戻った物語で、私が40歳ぐらいで流れ着いた中国で行き詰まり、日本に帰ってきて昔の同級生の誘いでデリヘルのドライバーをし始めたころの話から始まり、その時に風俗嬢にフィールドワークの取材をしようとしていた藍香と巡り合ったことが語られていく。ここに至って、この小説はいったい何なのだろう?何を描こうとしているのだろうという疑問が常に頭に浮かんでは消えていった。途中から、物語は私が作中で瞬に語った次回作の探偵の物語が始まり、そこに至ってどこに着地するのだろうと不思議で仕方がなかった。それは本当に最後の最後P470から明らかになるのだが、「あーそういうことだったのか」と納得がいった。この章のタイトルが「幻の庭」というのもなるほどと思わせるもので、手短に言うと沢渡晃とは一体誰なのか、なぜ存在したのかというのがこの小説の物語なのだろう。このことはこの小説を読み終わった後にもう一度序を読むとよくわかるだろう。これは万人受けしない構造の小説かもしれないが、なかなか面白かった。