中里裕司氏の日本史の賢問愚問を読んだ。本書は山川出版社の広報誌「歴史と地理」に連載されていた「賢問愚問」をまとめたものだ。
承平・天慶の乱
私が子供の頃は承平・天慶の乱と教わった記憶がかすかにあるのだが、最近はそのようには呼ばないで、天慶の乱と呼ぶらしい。これは起こったことを冷静に眺めると、乱がおきていたのは天慶年間であり、承平年間には乱は起きていないからである。実は江戸時代には天慶の乱と理解されていたのだが、なぜか明治・大正期の教科書や本で承平・天慶の乱と書かれ、それが広まったため、承平・天慶の乱と呼ばれたという事なのだが、一体誰が間違ったのだろう?
隠れキリシタン
本書に「隠れキリシタンはキリスト教徒ではない」と書かれていて、「あっ」と思った。なんとなく今までキリスト教徒だと思っていたが、そうではないというのだ。まず、初期の頃は大多数はキリシタン大名により強制的に改宗させられ、父と子と精霊の三位一体の教義を理解していたかどうか疑問があるというのだ。また、長い潜伏時代、指導者たる宣教師がいなかったので、高度な教義を理解している者はいなかっただろうという事だ。
彼らは隠れてもいないし、キリスト教徒でもないので、現在では「潜伏キリシタン」とか「カクレキリシタン」と呼ばれているという。
足高制
江戸時代の武士は知行・俸禄を給与されている義務として役を果たしているので、職務給というものは存在しなかった。しかし、4代将軍家綱の頃、役職就任者に役料が支給されるようになった。知行・俸禄以上の出費を強いられることが多く、困窮する旗本が増えたためだ。そして、8代将軍吉宗の時に足高の制が考案された。役職就任者の禄高が役職に応じて定められた基準高に達しないときは、その差額を在職期間中に限り加給する制度だ。財政の膨張を抑えながら、優秀な人材を登用できるようにした点で評価されている。
この説明の最後の所で「足高制以降、在任中に知行・俸禄を加給される例も少なくなりました」と書かれているのだが、これはどういうことなのだろう?どれくらいの期間の後少なくなったのか?結局足高制はあまりうまくいかなかったのだろうか?もう少し説明があってもいいと思った。