隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

統計の歴史

オリヴィエ・レイの統計の歴史(原題 Quand le monde s'est fait nombre)を読んだ。

日本語のタイトルは統計の歴史となっているが、フランス語の原題は「世界が数になったら」という意味で、こちらの方が内容をよく表していると思う。というのも、統計に関してその成り立ち・変遷について書かれてはいるのだが、歴史という内容とはちょっと合わない気がするし、何が具体的にどういう経緯で発見・発明されて普及していったのかというようなことがほとんど書かれていなくて、何とも物足りなく感じたのだ。著者の経歴も、「数学者、哲学者、エッセイスト」となっていて、数学の専門分野は非線形偏微分方程式になっており、統計分野の専門家というわけではないようだ。

興味深かったのは、統計はまず政治・経済の分野で始まり、その他の分野に拡大していったというのだ。統計が自然科学の分野で用いられるようになったのは19世紀後半で、統計学が数学の一分野として確立されたのはさらに遅く、20世紀の前半だというのだ。では、その始まりはどのようなものであったかというと、実際には統計というよりも調査であったようだ。では、何を調査したかというと国民の数である人口だ。そして、その最大の目的は国民の資産に応じて税を負担させるためだった。フランスではそのような調査は17世紀前半から行われていたようだが、問題は正確な調査をする方法がなかったことで、報告も正確な数ではなく、推定値だったり文章による記述であったようだ。しかも、集められた調査を分析することがなかったので、数字を集めても意味がなく、調査・統計に関する情熱も冷めていったようだ。

しかし、18世紀に猛威を振るった天然痘の予防策として統計が用いられたというのが興味深い。ロンドンの医師ジェームズ・ジュリンは人痘法の正当性を証明しようとして、人痘法によるリスクと天然痘による死者の数を比較した。またスイスの数学者であるダニエル・ベルヌーイはウィルス接種が有効なのかどうかを調べるため、人痘法が普及し始めたフランスの天然痘の発生率、天然痘による死亡率、人痘法によるリスクを調べ、人痘法の普及により平均寿命が3年延びたと推測した。この結果に対してジャン・ル・ロン・ダランベールがデータが不確かで、前提となる仮説が疑わしいと指摘した。ダランベールはワクチンに関しては否定していなかったのだが、ワクチン論争が沸き起こり、結果として1763年パリの高等法務院はパリ大学の神学部と医学部にワクチン接種の見解を表明するように求め、それが出るまでワクチン接種を禁止した。1774年ルイ15世天然痘で死亡し、ルイ16世がワクチンを接種し、王家の人々も全員ワクチン接種をしたことでその禁止は破られてしまった。