隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

ラブカは静かに弓を持つ

安壇美緒氏のラブカは静かに弓を持つ を読んだ。この本も本の雑誌で紹介されていた。
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 安壇美緒『ラブカは静かに弓を持つ』(集英社)はスパイ活動を描いた小説。ただし、諜報機関や謀略とは無縁の、日常を舞台としたスパイ小説である。

多分この紹介を読んだとき、ちゃんと内容を読んでいなかったのだと思う。最初のパラグラフには「日常を舞台としたスパイ小説」と書いてあり、日常のスパイ小説ってどんな小説なのだろうと興味を持ったのだが、紹介の後半の方には「主人公が、身分を偽ってチェロ教室に通い、師や仲間と出会って再び演奏の歓びにふれる」と書かれている。多分著者が書きたかったのはこちらが主であろう。この小説はJASRACが社員を音楽教室に通わせて調査していたという実際の出来事に触発されて書かれたのだと思うが、それ以外の物語は著者の創作だろう。

主人公の橘樹は全日本音楽著作権連盟の社員で、来るべき音楽教室ミカサとの訴訟の準備のため音楽教室への潜入を命じられた。樹は子供の頃チェロを習っていたのだが、ある不幸な事件が原因でチェロを辞めざるをえなくなり、またその事件のため精神に変調を抱え、不眠症に悩んでいるという設定になっている。それ以来チェロに関わるのも避けてきたのだが、仕事という事で気が進まないながらも音楽教室に通い、レッスン内容を録音しつつレポートにまとめて会社に提出するという生活が始まった。樹が自分の行っていることに後ろめたさを常に感じていながらも、そこには策謀とか諜報というものはない。

タイトルの「ラブカ」というのも何だろうと思いながら読んでいたのだが、それは「羅鱶」のことで、サメの仲間の深海魚のようだ。物語の中で「慄きのラブカ」という映画の話が出てきて、この映画がスパイ映画で、敵国に潜入して、一般人として生活するというような筋で、この物語の樹と重なる部分があるという設定になっている。そして、その映画音楽を作曲した日本人がチェリストでという風につながっていて、物語に奥行きが作られている。この小説は当初考えていた物とは全く違っていたけれども、ラストもうまくまとまっていて面白かった。