隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

言語の七番目の機能

ローラン・ビネの言語の七番目の機能(原題 La septième fonction du langage)を読んだ。ビネの第2作目の作品で、本書には実在の人物が多数登場する架空の物語だ。1980年、フランスの哲学者、記号学者、作家であるロラン・バルトが交通事故に遇い、病院に担ぎ込まれた。バルトは大統領候補であるミッテランとの昼食会に出席した後に事件に巻き込まれたことが後でわかる。ジャック・バイヤール警視が身元を確かめるために病院を訪れた。というのもバルトは身分を証明するものを持っていなかったからなのだが、どうやらバルトの様子からすると盗まれたらしい。最初事件は単純な交通事故だと思われたのだが、入院していたバルトが何者かに殺されてしまうことで、状況が変化していった。後日バイヤール警視はジスカール フランス大統領に呼び出され、バルトは事故当日非常に重要な書類を誰かに盗まれたこと、その書類は民主主義の根幹を揺るがすほどの重要な書類であること、そして、バイヤールにその書類を見つけ出してほしいことを告げられる。

バイヤールはこの難解な記号論の世界の水先案内人として博士論文準備中の大学講師シモン・エルゾゲを強引に巻き込んで、失われた書類を探すことになるのだが、やがてそれは本書のタイトルにもなっている「言語七番目の機能」に関する幻の論文であることが判明する。それはロシアの言語学者ロマン・ヤコブソンが書いたとされる架空の論文ということになっている。この論文を追ううちに彼らはロゴス・クラブという言論武闘会のようなイベントに引き込まれていく。そこでは一対一で討論をし、3人の審判がどちらが優れているかを決める。弁論は親善試合と公認試合の2種類があり、公認試合は異なるクラスの選手が戦うことになっている。選手のクラスには、低い方から「話し手」、「弁士」、「雄弁家」、「弁証家」、「逍遙学徒」、「護民弁論家」、「愛知者」となっていて、公認試合で下位の者が勝てば、上位に上がれるが、負けると、手斧で指を切り落とされてしまうという恐ろしいルールがある。

この小説はこの「言語の七番目の機能」という論文を追うシモンとバイヤールの物語で、それも十分面白いのだが、実在の人物を多数配置することで1980年代という時代を切り取るというのが作者のもう一つの意図なのだと思う。残念ながら私には名前だけ知っていたり、名前さえ聞いたこともない実在の人物が多すぎて、こちらの作者の仕掛けの方を十分楽しめなかった。訳者あとがきによると、作者は風刺ではなく嘲笑として書いてたという事だ。

実はこの小説を読んでひとつ発見したことがある。長らく不思議に思っていた小松左京日本沈没の最後のところ。シベリア鉄道に乗っていると思われる小野寺と摩耶子という名の少女のシーンで、摩耶子の右腕の先が失われているという記述についてだ。これは一対何を意味しているのか最初に読んだときから不思議に思っていた。「言語七番目の機能」でも登場人物が右腕の先を失うことになる。その後「シベリア鉄道に乗るには、うってつけじゃない」と別の登場人物が言い、「片手を失ったサンドラールをほのめかした」と書かれている。調べてみるとブレーズ・サンドラールという名前の作家は第一次世界大戦に従軍して右手を失ったらしく、また彼は「シベリア横断鉄道とフランスの小さなジャンヌ」という作品を書いたようなのだ。ようやく欠損した右手とシベリア鉄道が結びついた。小松左京はこれを引用したのだろうか?仮にそうだとして、どういう意図なのだろう?という謎は依然として残っている。