隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

鯉姫婚姻譚

藍銅ツバメ氏の鯉姫婚姻譚を読んだ。タイトルを見るとわかるが、手短に言うとこれは異類婚姻譚の形式の物語を包含した物語になっていて、構造はマトリョーシカのようになっている。ただ、物語の語りは外側からにはなっていない。物語の主人公は孫一郎という。家業の呉服屋でしくじって損失を出したので、自分には商売の才能がないと判断し、腹違いの弟に家業を譲った。その後若隠居をきめこみ、父親が遺した屋敷に移り住むのだが、その屋敷の庭の池には人魚がいた。上半身は童女のようだが、下半身は鯉のように見える。名前はたつというらしい。たつは孫一郎と夫婦になるという。なぜなら夫婦になれば、ずうと一緒にいられて、いつまでも幸せに暮らせるからだという。孫一郎は、人と人ならざる者の場合は酷い結末になると言って、御伽噺をたつに語って聞かせる。御伽噺は「猿婿」、「八百比丘尼」、「つらら女」、「蛇女房」、「馬婿」と5つ続き、最後の「鯉姫」で孫一郎とたつの結末が語られる仕掛けになっている。

異類婚姻譚という物語のカテゴリーがあるのは知っていたが、では一体どんな話が具体的に伝承されているのかに関しては、今まであまり調べてみたことはなかった。この本に収録されている猿婿、つらら女、蛇女房、馬婿は実際に伝承されているものがたりで、その基本的な物語の骨子は伝承されている物を踏襲している。その物語に作者による脚色がなされていて、より悲劇的な物語になっている。八百比丘尼も出だしのところの「ある男が持ち帰った人魚の肉を娘が食べてしまう」というのは伝承を継承しているが、その後の物語は作者の創作だと思われる。最初は全体的に挿入されている異類婚姻譚は作者の全くの創作なのかと思っていて、なぜこのような物語を挿入したのかと考えていた。調べてみると、全くの創作ではないので、代表的な異類婚姻譚を選んだという事なのだろうか?選択の理由はちょっとよくわからない。

孫一郎とたつの物語の最後は悲劇といえば悲劇なのだろうが、孫一郎にとっては必ずしも悲劇である様には書かれていない。何とも不思議な物語というのが率直な感想で、作者は異類婚譚の新しい形を書きたかったのだろうか?