隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

動的平衡3 チャンスは準備された心にのみ降り立つ

福岡伸一先生の動的平衡3 チャンスは準備された心にのみ降り立つを読んだ。いつのまにかシリーズの3作目が出ていたようだ。2を読んだときにはすでに3が出ていたことに全然気づいていなかった。

「飲めない水」の謎

かなり古い話になるが、私が大学を卒業してある家電メーカに入社したころの話だ。新入社員の研修の一環として、ある工場に配属され、新入社員の研修とか、工場のラインでの実際の作業を経験することになったのだが、なぜか工場には手を洗うのは構わないが、そこから水を飲んではいけないという蛇口があった。工場の人はその理由までは説明してくれなかったので、その理由が長いこと不明で、未だにそのことが記憶に残っているのだから、自分としては印象的な出来事だった。手を洗うのは問題ないのだから、汚れているとかそういうことではないのだと思うのだが、飲んではいけないという理由が全く思い当たらなかった。この本を読んで、その理由の一つが書かれてあった。それは、その水に高濃度の塩素が含まれている場合は、飲むのに適していないということだ。この説明はなるほどと思った。工場内の水を処理して再利用することはあるだろうし、安全のために塩素を混ぜることもあるだろう。その場合は飲料には適さないということだ。

記憶は遺伝するのか?

このテーマは非常に興味深いが、勿論記憶自体は遺伝することはない。しかし、一見すると記憶が遺伝したかと思わせるような事象がブライアン・ディアスとケリー・レスラーの研究チームにより2013年12月1日の論文に発表された。
マウスにアセトフェノンの匂いをかがせる。アセトフェノンは桜の花びらの香りだ。匂いをかがせた直後に、飼育箱の床に電流を流す。これを何度か繰り返しすと、桜の香りがするとマウスは身をすくめるようになる。いわゆる条件反射だ。ここまでの所は何の不思議もない。彼らはその条件づけられたマウスの子の世代と孫の世代を調べた。子の世代と孫の世代は、同じようにアセトフェノンをかがせて、電気ショックが来るという学習をさせると、低い濃度のアセトフェノンに対してもおびえるようになったのだ。
子や孫の世代のマウスはアセトフェノンのにおいを検出する嗅覚レセプターから嗅覚神経細胞の間で何かの変化が起きている可能性があるのだ。遺伝子解析の結果嗅覚レセプターの遺伝子に変化はなかったが、DNAの働き方を調節する情報が隠れた形でDNAに書き込まれていことがわかった。エピジェネティックの変化だ。メチレーションという物質がDNAに多数含まれていると、一般的にDNAの活性化が抑制され、少ないと活性化されることがわかっている。親世代のマウスの生殖細胞の嗅覚レセプター遺伝子ではメチレーションが少なくなっており、活性化されやすくなっていたのだった。

癌治療の画期的な方法

従来の癌治療というと、外科的に切除するか、放射線で焼くなどの癌細胞を取り除く方法だった。しかし、癌細胞は移転して広範囲に散らばってしまうと、完全に取り除くのは難しい。福岡先生は究極の癌治療法を比喩的に以下のように説明している。

もし、究極のがん治療があるとすれば、それは内なる敵としてのがん細胞と正面から戦うことではない。むしろ、がん細胞に「君はもともとちゃんとした大人の細胞だったはずだろう。正気を取り戻したまえ」と諭すことである。それによって、がん細胞がはっと我に返り、自らを取り戻すことができるなら、それが最も有効ながん治療法となるはずだ。

スローン・ケタリング研究所がマウスを用いた実験んで、大腸がんになった細胞に正気を取り戻させる方法を編み出したことを専門誌「セル」に発表した。専門的には、

APC遺伝子を活性化して、Wntシグナルという命令系統を正常化することに成功した。

となるようだが、色々わからない言葉が出てきて、私には理解が及ばない。まだこれは基礎段階の研究なので実用化されるのには時間がかかるだろうが、がん化した細胞が正常細胞に変化するのならば、たしかに画期的な方法だ。

大切な腸内細菌

本書シリーズで度々使われる人体とチクワの類似性の話がある。チクワの一方の穴が口で、もう一方の穴が肛門というわけだ。そう考えると胃とか腸などの内臓というのは実は体の外側だということが何となく理解できる。その腸の表面に潜んでいるのが腸内細菌だ。人間の消化器官内は酸素が少なく、そのような環境の細菌を外に出して酸素がある状態に置くと、たちまち死滅してしまうので、腸内細菌を実験的に培養することができず、どんな細菌がどれくらいいるかの研究はあまり進んでいなかったようだ。
ところがゲノム解析の進展の結果、排泄物の中に含まれるDNAが何かわかるようになってきた。人間由来のDNA、食品由来のDNAを差し引いて残ったものが腸内細菌由来のDNAとなるわけだ。その結果、およそ100兆個の腸内細菌が棲みついていることが分かった。そのうちこれまでに知られているのはおよそ一万種類の腸内細菌だ。
胎児がお母さんのおなかの中にいるときにはまだ腸内細菌はいない。誕生してから後に徐々に腸内に細菌が棲みだし、ある平衡点に達する。では、最初の腸内細菌はどこから来るのか?それは胎児が母親の産道を通るときに、口や鼻を通して摂取することになる。そういうわけで、最初の腸内細菌は母親由来の物となるらしい。では、帝王切開で生まれた場合はどうなるかというと、胎児を取り上げた医師や看護師の皮膚の常在菌ということだ。そこに何か差があるかというと、帝王切開で生まれた子供は、正常分娩で生まれた子供に比べてアレルギー疾患のリスクが高まるというデーターがあるらしい。ただし、親がアレルギー体質ではない場合は、このようなリスクの上昇は無いようである。