隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

ダンデライオン

中田永一氏のダンデライオンを読んだ。ミステリーの分類になっているようだが、どちらかというとSFだと思う。もちろん、ミステリー要素もあるのだが、それは主ではなく従ではないかというのが読後の感想だ。

物語は1999年と2019年が一人の男の中で交差することで進んでいく。その男は下野(かばた)蓮司。下野と書いてかばたと読ませるのを初めて知った。下野蓮司は2019年の10月公園の何者かに殴られて気を失う。その時不思議なことが起こった。病院に運び込まれていた蓮司は気が付くと大きな違和感を感じた。何と2019年の蓮司の意識は11歳の少年に戻っていたのだ。そして、2019年の蓮司の意識は1999年の4月に跳び、野球の練習試合中に頭にボールを受けて倒れた少年の中に入っていったのだ。2019年から1999年に跳んだ蓮司はこの事を知っていた。それは、20年前に自分が書き残していたノートに書かれていたからだ、そして、蓮司は宮城県から神奈川の鎌倉まで行かなければならなかった。あることを実行するために。時間は限られている。それは既に観測されて、決まったことだったが、それはこの1999年でもそうなのだろうか?

この小説は1999年と2019年が交互に描かれていて、少しづつ何が起きていたのかが明らかにされながら進んでいく。そして、本の真ん中あたりで、1999年に起こったことがだいたい語られ、2019年で蓮司の意識が過去に跳ぶところにたどり着く。そして、そこからはこの小説の登場人物は何が起きるかわからないのだ。前半は登場人物が何が起きるかわかっていて、それをなぞりながら、少しづつ進んでいく(1999年の意識を持った蓮司だけが何があったのかをよく知らない)のだが、真ん中から先は、作者だけがどうなるかわかっている領域だ。この対比的な構成が面白いし、物語もテンポよく進んでいき、誰がその犯罪の黒幕なのかも後半で明らかにされていく構成になっていて、非常に面白かった。

朱漆の壁に血がしたたる

都筑道夫氏の朱漆の壁に血がしたたるを読んだ。本書は物部太郎シリーズの第三作目で、最終作だ。著者がなぜこのシリーズを継続しなかったのかはわからないが、この物部太郎シリーズは当時都筑氏が提唱していた「謎と論理のアクロバット」を実践するために書かれたシリーズだ。この作品も何度か読み返したはずなのに、ストーリーは全く覚えていなかった。そして、第二作目の「最長不倒距離」から2年も空いてしまった。読もうと思っていたのだが、後回しになってしまった。

「片岡直次郎、あんたを逮捕する。森田緋美子殺害の容疑でだ」

という言葉から始まるこの小説。いきなり殺人事件が起き、しかもこのシリーズの主要登場人物が逮捕される状況になっている。そして、読み進めていくと、土蔵の中で人が殺された。土蔵の外には目撃者がいて、出たものも入った者もいないという。そして、土蔵の中には、片岡直次郎と被害者の森田緋美子だけ。さぁ、いったい何が起きてのだろうか?というのがこの小説の肝だ。一見不可解な状況が起きているのだが、それがなぜ起きたのか、どういうことがあったのかを論理的に説明するのが、「謎と論理のアクロバット」だ。

ストーリーはそこからこの物語の出だしに戻り、小説家の紬志津夫が物部太郎の事務所を訪れ、推理小説の執筆の参考にするので取材の手伝いをしてほしいと依頼してくるところから始まる。紬は一般から奇想天外な殺人事件のシチュエーションを募り、それを題材に推理小説を書くことになっているのだ。当選したシチュエーションは、「集中豪雨で大きな川にかかった木の橋の両端の接岸部分が流されてしまった。そのため、橋の中央の部分だけが孤立して川に取り残されてしまった。役所の技師や作業員が補修のために下検分にやってきた。作業が終わって帰ろうとすると、一人姿が見当たらない。みんなで探したが両岸にはいず、探していないのは橋の上だということになり、ボートで行ってみると、そこで死体が発見された」というものだ。紬の細君がそれと似た事件が自分の出身地であったと聞いたことがあると話し、紬はその事件の下調べを依頼しに来たのだった。物部太郎は例によって仕事をしたくないので、片岡直次郎が現地の能登半島に向かい取材を開始する。

そして、実は殺人事件はこれだけではなく、取材で訪れた元新聞記者が死に、森田緋美子の弟が死にと、連続殺人の様相を呈してくる。今回物部太郎は東京にいて、事件は能登で起きている。物部太郎は仕方なく最後には現地に赴き、事件をいやいや解決することになる。そして、最後のセリフが、

「ご辞退しますよ。こういう事件は、性にあわないんです。金田一耕助先生にでも頼んでください」

となっていて、今回の事件はいかにも横溝正史が好きそうなドロドロとした人間関係が背後にあって、まさにこのセリフはうまいなと改めて思った。今回の物部太郎は事件現場にはいないので、この小説は変形のアームチェアーディテクティブものととらえることもできるだろう。例によって、片岡直次郎が色々な会話を録音しておいたということになっている。