隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

歴史は実験できるのか――自然実験が解き明かす人類史

歴史は実験できるのか――自然実験が解き明かす人類史(原題 Natural Experiments of History)を読んだ。タイトルの前半だけを見て、「そりゃ、歴史の実験というのは不可能だろう。いったいどういう内容が書かれているのだろう?」と思った。しかし、本書には副題がついていて、そこには「自然実験」ということばがある。さて、自然実験とは何のことなのだろうか?

実験というと私は化学や物理の実験のようなものしか思い浮かばなかったのだが、どうやら、このような実験は実験室実験(laboratory experiment)というものに、分類されるようだ。一方、自然実験(natural experiment)は「現実生活のなかに自然に生じた(研究者が操作したのではないという意味で自然)現象が原因となって、いかなる結果を生み出したか」を調べる実験のようだ(実際には実験というより観察に近いかもしれない)。たしかに、この「自然実験」なら「歴史」にも適応可能であろう。英語のタイトルはそのあたりをストレートに表現していると思うのだが、日本語のタイトルは前半でわざと私が思ったような疑問が出るようなしているのだと思う。しかも、わざわざ疑問形にしている辺り、意図的に誤解を生じさせるようにしているのだろう。

以上私が、本書を読む前に思った上記のようなことは、プロローグの所でまず解説されており、さらに、1979年歴史学者ローレンス・ストーンの言葉

(前略)…。事例だけに頼りながらそれ(定量化)に関して議論を進めるのは、むしろ恥ずべき行為であろう。今日では裏付けとなる統計的証拠によって、事例がルールの典型であり例外ではないことを示すように批評家から求められている。

を引用して、比較や計量的手法や統計の重要さを説いている。本書を読もうと思ったのなら、まず、プロローグを、特に「本書の概要」をまずじっくり読むことをお勧めする。それと、あとがきにある(P256~P257)本書にある8つのケーススタディの表も重要だ。それによると、一章から三章は「ナラティブ」に執筆されていると説明している。この「ナラティブ」という言葉もあまりなじみがなかったのだが、よく歴史の解説書に見られる、文献を引用・参照しつつ、解説していく手法のようだ。なので、この章は自然実験とは直接的には関係がないと思うので、このトピックに関して興味がなければ、読み飛ばしても問題ないと思われる。四章以降から、自然実験的手法によって、定量的に分析を行っている。こちらの方が、本書のメイントピックだと思う。

イスパニョーラ島にあるハイチとドミニカ共和国

この説明では「ナラティブ」が用いられているので、厳密に統計的な手法は用いられていないが、一つの島にあるハイチ(西部)とドミニカ共和国(東部)があまりにも違った発展を遂げており、「境界に関する自然実験」に該当する極めて興味深い考察になっている。もともと、一つの島にある二つの国なのだが、気候・地形的な違いとして、 雨雲は主に東風に運ばれてくるので、東から西に行くほど降水量は少なく、島の西側は乾燥している。また、ハイチは山がちで、土壌は地味が薄く、痩せている。ドミニカ共和国の中心部を占めるシバオ・バレーは肥沃で農業生産に最適な条件が整っているが、それに匹敵する場所はないという違いがある。また、ハイチは人口密度が高く、国民の多くがクレオール語を話し、奴隷が多い社会が発展した西部と、人口密度が低く、国民のほとんどがスペイン語を話し、奴隷の少ない東部という違いもある。そして、東部ハイチはフランスに占領され植民地となり、当初はフランスが投資を行い豊かであり、多数の奴隷を連れてきた。一方東部はスペインに占領された。スペインはメキシコやペルーを手に入れたので、この島に奴隷を連れてくる必要性がなかった。

さて、この二つの国が独立した後全く別の経緯をたどり、ハイチの方は世界の内の極貧国なり、ドミニカ共和国は豊かになり、一人当たりの平均収入はハイチの6倍になった。独立後はどちらも独裁者に統治されていたのだが、その独裁者の方針により、このような差が生まれてしまったともいえる。その理由は本書を読んでもらった方がいいのだが、非常に面白い。

アフリカから連れ去られた奴隷の人数とその地域(国)の所得

この考察も非常に興味深い。過去の色々なデータを基にして、アフリカから連れ去られた奴隷の人数を地域ごとに集計し、それを現在の国に割り当てて、2000年の一人当たりの所得を比較している。その結果、多く奴隷が連れ去られた地域(国)の方が所得が低くなる傾向にあることが分かった。更に、興味深いことに連れ去られた奴隷の人数と現代の民族分割の傾向を調べると、正の相関があるのだ。連れ去られた奴隷の人数が多いほど、民族が分割されている。この点は後にアフリカの国々が独立したときに、その国にどれだけの異なった民族が居たかにもよるのだろうが、民族の数が多いほど、国内がまとまらず、経済的な発展が遅れたということなのだろう。

上記の2点に加えて、本書では「イギリスのインド統治の違いによるその後の発展」と「フランス革命の拡大がドイツの地域発展に及ぼした影響」を考察しており、こちらの内容も興味深かった。

それと、これはこの本の内容とは直接関係ないのだが、編集者でもある二人が「完成本に統一感を持たせるためには大変な努力が必要」だと書いて、その直後に、

一冊完成させるたびに二人の友人を永遠に失い、数人とは少なくとも十年間は絶交状態になってしまうと言ってよい。

と書かれていて、かなりの誇張が入っていると思うが、大変な作業であることには違いないだろう。

以下収録されている内容のタイトルと著者一覧。

ポリネシアの島々を文化実験する

パトリック・V.カーチ(Kirch,Patrick V.) 

アメリカ西部はなぜ移民が増えたのか-19世紀植民地の成長の三段階-

ジェイムズ・ベリッチ(Belich,James) 

銀行制度はいかにして成立したか-アメリカ・ブラジル・メキシコからのエビデンス

スティーブン・ヘイバー(Haber,Stephen) 

ひとつの島はなぜ豊かな国と貧しい国にわかれたか-島の中と島と島の間の比較-

ジャレド・ダイアモンド(Diamond,Jared) 

奴隷貿易はアフリカにどのような影響を与えたか

ネイサン・ナン(Nunn,Nathan) 

イギリスのインド統治はなにを残したか-制度を比較分析する-

アビジット・バナジー(Banerjee,Abhijit V.) 
ラクシュミ・アイヤー(Iyer,Lakshmi) 

フランス革命の拡大と自然実験-アンシャンレジームから資本主義へ-

ダロン・アセモグル ほか(Acemoglu,Daron)