虎尾達哉氏の古代日本の官僚-天皇に仕えた怠惰な面々を読んだ。タイトルの通り、古代から中世の日本の朝廷には実は怠惰な官人が多くいたという内容なのだが、それにもまして、実は第一章の「律令官人とは何か」が面白かった。
陰位
まず第一に、今まで、朝廷に出仕して何らかの職務についている者は皆貴族だと思っていたのだが、実はこの理解は誤りだった。これはP33の「蔭位で貴族を再生産」というところに書かれている。古くは聖徳太子が定めたとされる十二冠位に端を発する位階は大宝令では一位から八位という数字に変わり、その一番下に初位を置く形式になった。陰位とは、大宝令で五位以上の子や三位以上の孫は特権として最初から高い位階を与えられる制度だ。例えば従五位下の嫡子は従八位下から、正一位の嫡子は従五位下、庶子は正六位上、従一位の嫡孫は正六位上、庶孫は正六位下からのスタートとなる。それに対して、六位以下の子や孫にはそのような特権はない。そして、この項目に「六位以下の非貴族は」と書かれているのだ。陰位とは貴族の子や孫に与えらえた特権である。非貴族に生まれたものは最下位の少初位下からのスタートとなり、有能で長年勤めて好業績を上げても昇進は正六位上止まりなのだ。この制限は天武天皇が定めた出身法の頃から出身氏族の門地が重要だったのと同根であろう。当時から、上級豪族と中下級豪族では冠位に差があり、上級豪族は小錦下以上の冠位に付き、中下級豪族は大山上までしか冠位が昇らなかった。
下級官人の特権
それでも、一般庶民(白丁)と比べても、下級官人は様々な特権を持っていた。
官名、位階、給与
六位以下の官人がつく官職は常勤の長上官(四等官で、長官、次官、判官、主典)か非常勤で番を組んで勤務する番上官(史生、使部、伴部など、四等官の下にあり、下働きをする)のどちらかである。長上官の給与は季禄で年二回支給され、絁・綿・布の繊維製品と鍬の現物支給。一方番上官は一部を除き給与はないが、毎月の食料(月料)と調庸免除の特権だけである。ところがである、六位以下の場合、かりに長上官であっても、位階の昇進と給与の増加とは無関係で、季禄の支給額は官職で決まるのである。時代とともに下級官人は増えていったのだが、官職はほとんど増えなかった。だから、位階の昇進が官職の昇進につながらなかったのだ。しかも、下級官人は五位に上がれないので、冠位が上がろうが給与にはあまり関係がないという事だ。
本書の3分の2以上を割いて、下級官人がいかに職務に怠慢であったのか(式典を欠席したり、使者をドタキャンしたりなどなど)書かれているのだが、朝廷側も厳罰を持って臨むという事なかったようなのである。しかも、下級官人は貴族になれないし、そもそも天皇を敬うという概念も当時はなかったようで(明治から昭和を経た我々日本人からすると、はなはだ不敬だとは感じるが)、一生懸命職務に邁進することはなかったようだ。ただ、彼らはさぼって何をしていたのだろうという疑問に関しては本書では明らかにされていない。これは史料がないからわからないのだろうか。