隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

私を離さないで

カズオ・イシグロ氏のわたしを離さないで(原題 Never Let Me Go)を読んだ。

時は1990年代末、舞台はイギリス。物語は介護人キャシー・Hが自分の過去を語る形式で進んでいく。31歳の彼女は優秀な介護人で、この仕事を11年以上も続けている。彼女は回復センターで提供者の介護をしているのだが、具体的にどのような事をしているのかは明らかには書かれていない。ただ、提供者を落ち着かせ、平静になるようにするのが彼女の仕事らしい。彼女はヘルーシャムと呼ばれるところの出身のようで、そこでの生活を思い出しながら、語られていく。時々話が前後することがあるが、おおむね過去から現代に向かってキャシーの経験したこと語られている。

ヘルーシャムは全寮の寄宿舎付の学校のようなところで、多くの子供たちが暮らしていた。そこには数人の保護官と呼ばれる教師役と頻繁に行われる健康診断を実施する看護婦ぐらいしか大人はいないようだ。キャシーはルースというなの同級生の少女と親しくなるが、ルースはなかなか一筋縄ではない。ルースは自己顕示欲が強く、他人より優位に立ちたいと思っているのに、親切にされたり、やさしくされると、その恩に報いようとけなげな行動にも出る。キャシーとルースとお互いに牽制しあったり、強く結びついたりしながら、ヘルーシャムで過ごしていく。その二人にトミーという少年がかかわってくる。トミーは癇癪持ちで、それが原因でからかいの対象になっていた。ルースとトミーはやがて恋人同士となる。だた、最初はキャシーとトミーが仲良くしていたのではあるのだが。

ヘルーシャムでは当時年四回交換会というものが行われていた。交換会というのは一種の展示即売会で、子供たちが3か月の間作った、絵画・焼き物・彫刻・オブジェ・詩などを出品する。保護官がそれらの作品を見て、出来栄えに応じて何枚かの交換切符をくれる。子供たちはその切符で、気に入ったものを買うのだ。その交換会にどれだけいいものを出せるかが人気を決めることにもなるのだ。トミーは絵画の才能が乏しく、その事もトミーを悩ませている一つの原因だった。ヘルーシャムにマダムと呼ばれている女性がたびたび外部から訪れており、マダムは交換会に出されているすぐれた作品を持ち帰ることが恒例になっていた。みんなはどこかに展示館があり、マダムが持ち帰った作品はそこに飾られているのだと信じているのだ。

イシグロ氏が2017年にノーベル文学賞を受賞したときに、本作の内容も紹介されて目にした人もいるだろうが(内容に触れるので)、

彼らがクローン技術により生み出された臓器を提供するための存在であることは小説の前半の方で明らかにされるのだが、その後もキャシー、ルース、トミーのかかわりを淡々と描き出していく。彼らの間では以前から一つの噂話があり、それは本当に愛し合っているカップルは臓器の提供を数年猶予してもらえるというものだった。物語の最後の方では、トミーは既に提供を始めていたが、キャシーとトミーはルースが死ぬ前に突きとめていたマダムの所を訪れて、二人は本当に愛し合っているのだから、提供の猶予そして欲しいと懇願するのだった。そこで、ヘルーシャムとはいったい何だったのか、なぜマダムは子供たちの作品を持ち帰ったのかが明らかにされる。

文庫本の表紙にはカセットテープの絵になっているが、これはこの本のタイトルにもなっているキャシーが大切にしていたジョディ・ブリッジウォーターのNever Let Me Goが収録されているテープであろう。本の中では正確には書かれていないが、キャシーらはDNA編集により不稔性の身体になっており、子供が産めない。この歌に関しては本文に以下のように記述されている。

この歌のどこがよかったのでしょうか。ほんとうを言うと、歌全体をよく聞いていたわけではありません。聞きたかったのは、「ベイビー、ベイビー、私を離さないで」というリフレーンだけです。聞きながら、いつも一人の女性を思い浮かべていました。死ぬほど赤ちゃんが欲しいのに、産めないと言われています。でも、ある時奇跡が起こり、赤ちゃんが生まれます。その人は赤ちゃんを胸に抱き締め、部屋の中を歩きながら、「オー、ベイビー、ベイビー、私を離さないで」と歌うのです。もちろん、幸せで胸がいっぱいだったからですが、どこかに一抹の不安があります。何かが起りはしないか。赤ちゃんが病気になるとか、自分から引き離されるとか……。歌の解釈としては、歌詞の他の部分とちぐはぐで、どうも違うようだ、とは当時の私にもわかっていました。でも、気にしませんでした。これは母親と赤ちゃんの歌です。私は暇さえあれば、飽きもせずに何度もこの歌を聞いていました。

これも何とも切ない感じがする部分だ。マダムのもとを訪れたキャシーとトミーだが、彼らには奇跡など起きず、提供が猶予されることなどなかった。

倫理的な問題もあるし、技術的にも臓器提供のためのクローンなど現実にはまだ存在していない。それにコストの問題もあるだろう。だが、ここで描かれている世界がもしあったらと考えると、何とも言えない気持ちになってしまう。最近では豚などに人間に移植可能な臓器を作らせる研究もある。既に豚などは家畜として飼育され、また屠殺されているという事実が心理的な抵抗が低くなるのではないかということなのだろうが、人間じゃない動物ならいいのかという疑問もわいてきてしまう。本書は色々なことを考えさせられる本だった。