隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

アメリカン・ブッダ

柴田勝家氏のアメリカン・ブッダを読んだ。柴田氏の小説は単なるSFというよりも、観念的なSFだと読むたびに感じる。本書は短編集で、「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」、「鏡石異譚」、「邪義の壁」、「一八九七年:龍動幕の内」、「検疫官」、「アメリカン・ブッダ」の6編が収録されている。

雲南省スー族におけるVR技術の使用例」は生まれた時からVRゴーグルをかけている中国の少数民族はどのような世界を見ているのかという話なのだが、結局はVRゴーグルを書けていようがいまいが、自分が見ているものと他人が見ているものが同じかどうかというのは誰にも分らないという話だ。「鏡石異譚」はILCによって検出された質量が負で時間をさかのぼる粒子(記憶子)とタイムトラベルが関係しているのだろうかという話で、時間改変物かと思うと、単純な時間改変物ではない。このストーリーに遠野物語を絡めている。「邪義の壁」はどちらかというとホラーテイストの小説か。「一八九七年:龍動幕の内」は「ヒト夜の永い夢 」の前日譚のような物語で、南方熊楠が主人公で、孫文とコンビを組んで、ロンドンのハイドパークに現れる『天使』の謎を解く。「検疫官」は物語の流入を防ぐ検疫官の物語。「アメリカン・ブッダ」はアメリ先住民族が、大洪水で荒廃したアメリカで仏教の悟りに至り、仏教の伝道をする話なのだが、ほとんどのアメリカ人は荒廃したアメリカ大陸ではなく、仮想世界に生きている。

この中では「鏡石異譚」が一番面白かった。この話もある種「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」と通じるところがあると思うのだが、自分が経験して覚えていることを客観視したときに、それは他人の経験と同じなのだろうかということと関係している。通常は同じなのだが、本当に同じかと言われると100%の言い切れないところもある。人の記憶とはつくづく不思議なものだ。