隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

聖者のかけら

川添愛氏の聖者のかけらを読んだ。

舞台は13世紀前半のイタリア。事の発端はモンテ=フォビオ修道院のマッシミリアーノ院長の許に聖ドミニコの聖遺物(遺骨)がもたらされたことだった。ドミニコ会のカルロなる修道士が5人の会士を伴い訪れ、聖ドミニコの聖遺物を贈呈した。それからはモンテ=フォビオ修道院には吉事が繰り返し起き、聖遺物のおかげだと思って喜んでいたのだが、ほどなくして、ドミニコ会聖ドミニコの聖遺物を贈ったこともなく、また、カルロなる修道士も存在していないという情報がモンテ=フォビオ修道院にもたらされた。では、あの聖遺物はいったい誰のものなのか?この謎を解くべく、マッシミリアーノ院長はモンテ=フォビオ修道院の修道士であるベネディクトをセッテラーネ村の教会の助祭ピエトロの許に派遣した。ベネディクトは修道院で純粋培養されたような修道士で、清濁のうち清だけしか受け入れられないような若者だった。一方のピエトロは助祭という肩書ではあるが、墓を暴いて、遺骨を掘り出し、聖遺物として売り払うような、濁を絵にかいたような若者にベネディクトには見えた。このような水と油のような二人の探索を行うのだが、やがてドミニコ会フランチェスコ会の争いに巻き込まれていき、実はその裏にはもっと大きな陰謀が仕掛けられていたのだった。

この著者の作品をすべて読んでいるわけではないが、今までの小説は横書きであったのが、本作は縦書きの体裁をとっている。そして何よりも、今までは何か特殊なルールの世界をファンタジックに書き表すような小説だったのが、今回の作品はルールと言えばキリスト教の信仰なのだが、10人いれば10通りの異なった信仰があるといような、現実の世界を題材に小説を書いているのが、最大の違いだろう。また、本書はミステリー的な要素もあるのだが、モンテ=フォビオ修道院にもたらされた聖遺物が誰のものなのかということを理詰めで解き明かしているわけではないので、ミステリーには分類できないと思う。

本書を読んでいて気付いたのは、人間と人間の約束のように、神との約束・契約というようなものが存在しているように今まで錯覚していたが、キリスト教においては果たして人間と神はそのような関係の約束をしたのだろうかという疑問が湧いてきた。それと、極端な清貧に偏った布教が異端に通じるとみなされうるというのもちょっと驚きだ。