隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

押井守監督が語る映画で学ぶ現代史

押井守監督と野田真外氏の対談の書籍化である押井守監督が語る映画で学ぶ現代史を読んだ。これはもともとは日経BPのサイトに連載されていたものの書籍化だ。

business.nikkei.com

この本が出版され後でもサイトの内容は読めるようになっている。ただし、本書は加筆訂正されていると書かれているので、サイトの内容と若干異なるのかもしれないが、流石にどこが異なっているかまでは調べてはいない。

押井監督の言う「映画は社会が抱える不安を記録する装置」という考えは今回初めて見た気がするけれど、これはいわゆる裏目読み(映画本来のテーマーやストーリーの裏側に本当に描きたいことを忍ばせた部分を読み解くこと)の別な言いかたのだなぁと感じた。そして、単に浮世の事を忘れる忘却装置であっていいのかという風に論旨がつながっていく。忘却装置は単なるカタルシスであり、消費であり、面白ければよい、面白いものを次々と見たいという要求に繋がっていく。そして、この手の物はあまり記憶に残らない。

本書で007に関して言及されているが、子供の頃はワクワクしてみた記憶があるのだが、ここ20年ぐらいは「まだやっているのか」という感想ぐらいしかなくて、テレビで放送されていてもあまり見ようとも思わなくなってしまった。本書でも指摘されているが、東西冷戦が終わってスパイの在り方も変わってきているのがあるのだとも思うが、007自体単なるアクション映画の一ジャンルになっているので、他との差別化に失敗しているのではないだろうか。

ちょっと驚いたのが、若大将シリーズ。昔、多分30年以上前だと思うが、テレビで放送しているのも見た記憶があるのだが、何が面白いのか全く分からなかった記憶だけが残っている。だから、全部見なかったのではないかと思うし、内容に関してもほとんど覚えていない。で、この若大将シリーズが怪獣映画との抱き合わせというのが驚きだった。見せる対象は子供だということだ。なんとなく、この映画誰向けなのだろう?加山雄三のファン向けなのだろうかと思ったのだが、子供向けとは本当に驚いた。子供が見て面白いのだろうか?

角川映画のことに関しても触れられているが、配給で苦労していたというのは初めて知った。確かに映画の製作は何とか出来ても、当時は配給は映画会社の系列ばかりだから、そこを押さえられないと上映したくてもできないということになってしまう。今は独立系のシネコンとかもあるので随分違うのだろうと思う。また、今や上映はディジタルなのでフィルムプリントを作る手間もコストもないのは随分違うと思う。

ケータイ捜査官7の話も言及されているが、当時の記者発表で押井監督も参加すると聞いたので、一年間とりあえず見続けた。いつ、どの話数で演出するかまでは知らなかったからだ。押井監督が演出したのは2話だけ、あと脚本が一本だった。演出の方は最初から2本だけだということのようだが、それは始まる前に発表されていたのだろうか?大したこともないようなドラマを1年間も永遠に見続けた記憶がよみがえってきて、ちょっと不愉快な気持ちが蘇ってきた。それと、今年の前半の朝の連続テレビ小説のエールで小山裕一を演じた彼のことをどこかで見た記憶があって、何で見たのだろうと暫く考えていた。日経のサイトでこの回を読んだときにも思い出せなかったのだが、先日ふいにケータイ捜査官7のことが思い出され、あの少年役が彼だったのでは?と思い始め、調べてみたらそうだった。なんとなく気になっていたことに決着がついて、すっきりした記憶も蘇った。