隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

ひとまず、信じない

押井守監督のひとまず、信じないを読んだ。押井監督の手による幸福論なのだが、あまりにも書いてあることがまっとう過ぎて、ちょっと拍子抜けしてしまった。読者の対象は私のような爺ではなく、若い人なのだろう。あとがきによると、10年くらい前にも同様の本を書いてあるというとこだが、そちらは未読なのでわからないが、押井監督自身は考え方は変わっていないと書いてあるので、内容はほぼ同じなのだと思う。

最初の幸福論の章で、人生に大事なことは重要なことを見極めることだと説いている。そして、それに基づいて優先順位のリストを作るべきだと。この優先順位のリストは絶対的なものではないので、折に触れて自分にとっては何が重要なのかを考えて、優先順位を入れ替えることも必要だと述べている。また、タイトルの「ひとまず、信じない」3章のニセモノ論からとっているのだろう。この章ではいわゆるネットにあふれる偽情報・フェイクニュースについて触れている。ネットにある情報など、「所詮その程度の物」ぐらいの気構えで接するべきで、そこに書かれていることをうのみにして行動するのは最も愚かしいことだ。

第5章の人間論で『戦争における「人殺し」の心理学』が紹介されているのだが、この本によると第二次世界大戦中にアメリカのライフル銃兵はわずか15~20%しか敵に向けて発砲していないという。残りの80~85%は戦友を救出したり、武器弾薬を運んだり、伝令をしたりしていた。なぜこのようなことが起こるかというと、「人間の内部には、同類たる人間を殺すことに強烈な抵抗感が済ん在する」ためらしい。アメリカの南北戦争時の激戦地ゲティスバーグにおいても、戦場から回収された2万7千挺のマスケット銃のうち90%近くが球が装てんされた状態だった。このパーセンテージは朝鮮戦争では55%、ベトナム戦争では90~95%になった。これは陸軍が心理機制を行い「敵は自分とは異質な存在だ」と思わせることに成功した結果だ。

実は最後である6章の監督論がいかにも押井節といったないようだ。ここでは庵野監督のシン・ゴジラを取り上げて、「極めて高く評価している」と書きながらも、「個人的には、物足りない作品だ」とも書いてある。なぜなら、監督のテーマ、何をこの映画で表現したかったのか、やりたかったのかが見えないからだという。それが無いのは映画ではないとまで言い切っている。この辺りはいかにも押井監督らしい発言だろう。