隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

敵討ちか主殺しか (物書き同心居眠り紋蔵)

佐藤雅美氏の物書き同心居眠り紋蔵シリーズ「敵討ちか主殺しか」を読んだ。

このシリーズも非常に長く続いていて、本作で14作目だ。前作では驚いたことに別シリーズの登場人物蟋蟀小三郎が登場していて、今後も登場するのかと思ったら、本作には登場しなかった。蟋蟀小三郎のキャラクターも面白いので、引き続き登場すれば楽しい展開もあったのではと思うのだが。

だいたい今までのシリーズではゲストキャラクタともいうべき、その本を通じての新しいキャラクターがいて、本作では廻船問屋伊勢徳の隠居徳兵衛がその役どころになっている。今回は主人公の紋蔵よりも活躍していて、二編目で本書のタイトルにもなっている「敵討ちか主殺しか」では、紋蔵は最後の方まで出てこないようになっている。このストーリーもなかなか興味深い。敵討ちを探している男が、探査のためにある医師の許の弟子入りしていたのだが、果たしてその医師が敵討ちの相手だとわかって、いざ敵討ちにということになる。これは果たして純粋な敵討ちになるのか、それとも弟子入りをしていることから、主殺しとなるのかというストリーなのだ。実際このようなことが江戸時代に起こったかどうかはわからないが、もし、起こったとしたらどのような裁きとなったのだろう。

一番面白かったというか、ほろりと来たのは「ちかの思いとそでの余所行き」。「ちか」は「そで」の娘で、そでは娘のちかの三味線の発表会の見物をするための余所行きがないから、三味線の発表会にはいかれないという。実際、そでの亭主はちかがお腹にいるときにぷいっと出て行ったきり戻ってこず、そでは着物の仕立てをする賃仕事で生活していて、生活にそれほど余裕がない。ちかは母親にぜひと発表会に来てほしくて、余所行きを工面するために、いろいろ奮闘するが、なかなかうまくいかない。

それと、紋蔵の奇病である居眠りが「鳶に油揚げ」で久しぶりに出てきた(P287)。

白樫の樹の下で

青山文平氏の白樫の樹の下でを読んだ。以前遠縁の女 - 隠居日録を読んで、面白かったので他の作品にも手を出してみた。

読み終えて、改めて文章がうまいと思った。江戸の町名、橋、川が文章中にちりばめられており、そこを実際移動しているかのような印象を受ける。

物語は大膾と呼ばれる謎の辻斬りと一竿子忠綱作と言われる一振りの太刀が絡み合った時代小説である。四人の主要な男たちが登場する。そのうちの三人は小普請組に属する侍の若者で幼馴染で、佐和山道場で剣の修業をしている。

そのうちの一人は村上登。登は佐和山道場の師範代で、頼まれて錬尚館の道場破りの助太刀をしている。錬尚館の館長寺島隆光は自分の所の門弟が道場破りの相手をして、相手から恨みを買うことを嫌い、同流の道場の門弟に道場破りの相手をすることを依頼していたのだ。一番いい道場破りの対応法は、相手が戦意を喪失して、去ること。登は巧みに相手の戦意を挫き、戦うことなくして、事を収めていた。

また一人は青木昇平。父親が首をつって自死するようなことがあっても、明るさを失わなかった男。近所の子供たちを阿弥陀如来の出開帳に連れていった際、狂って抜刀して暴れている浪人の右腕を肘から切り落とした。そのことが顕彰され、小普請組から抜け出し、御入用橋等出水之節見廻り役の下役の職を得た。

また一人は仁志兵輔。近所の子供たちを阿弥陀如来の出開帳に連れていく予定だったのは本当は兵輔だったのだが、別な用事のために、昇平に代わってもらった。本当は自分があの浪人を成敗したのにと思っている。そして、同じような手柄を立てて顕彰を受ければ、自分にも未来が開けるのではないかと、近頃江戸で話題になっている大膾という辻斬りを仕留めようと追っている。

最後の一人は巳乃介。蝋燭屋の次男で、錬尚館の門弟である。刀好きが高じて、商いができるぐらい集めたが、田沼意次が失脚し、世の風向きが変わって来たので、殆どの刀を手放してしまった。残っていた一竿子忠綱作の刀を「刀が刀としてある様を見ていたい」と言い、登に預かってほしいと頼んだ。その後、巳乃介は紆余曲折あり小人目付のとなり、こちらも辻斬り大膾を探査することになる。

物語は主人公の登を中心に、辻斬り大膾の正体、侍とは何なのかを描きながら進んでいく。大膾の正体を探る所は、ミステリー的要素も含んでいる。