隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

跳ぶ男

青山文平氏の跳ぶ男を読んだ。作者は文中に明確に年号は書いていないが、「本年、水野越前守忠邦が老中首座になった」と文章中に書いているので、天保十(1839)年物語の時間軸だと思われる。物語の舞台は藤戸藩。藤戸藩は台地の上にあるという特殊な土地柄で、土地は少なく、水もない。そのため石高が低く、他の藩と比べても、藩の窮状は惨憺たるものであった。その藤戸藩の道具役の家に生まれた長男の屋島剛は幼くして、母を亡くした。父親は剛の乳母だった女を後妻にしたが、その継母は子供を身ごもると、剛を疎ましく思うようになり、父親もそれを正そうとはせずに、嫡男としての居場所を失ってしまった。

道具役とは実際には能役者であり、藤戸藩には二家があった。一つは屋島であり、もう一つは岩船家であった。岩船家には保という嫡男があり、剛の三つ年上であった。剛は嫡男としての居場所を失ったが、それでもひたむきに能の修業をし、剛の師は保となった。

藤戸藩は土地が少ないので、国にちゃんとした墓をつくることもできず、河原に遺体を浅く埋めて、川が氾濫して遺体が流されることを期待するというような「野墓」という風習があった。保は、藤戸藩を「ちゃんとした墓参りができる国」にしたいと常々繰り返しおり、その志を抱いて藩校に上がり華々しく出頭していくが、出来の悪い上士の子弟といさかいになり、それがもとで刀を抜いたために、あっけなく切腹する羽目になってしまった。自らの能の師を失い途方に暮れる剛であったが、実は幼い藩主が病で急逝し、藩主が十七歳に満たず、末期養子を届け出ることができないために、剛が藩主の身代わりになることになってしまったのだ。剛の能の才覚で、幕府内の要職の大名と友誼を通ずることが期待されていたからだ。

わたしは能に関しては全く知識がないので、この本に書かれている能に関する記述がどうなのかは全くわからなかった。例えば、能における軸とか、美しさを妖精に例えるところとか。この小説の肝は「このような窮状にある藩がどのようにしてそれを打開するか」であり、ネタバレをすると、作者の企みは「参勤交代と御手伝普請の免除」をどうやって幕府から引き出すかことだ。それによって財政再建を図るということで、主人公の目指す「ちゃんとした墓参りができる国」につながるのだが、なるほどそう来たかというのが読後の感想。能の部分はよく判らないのでどれぐらい説得力があるかと言われると、そこは疑問なのだが、面白い結末が待ち受けていることは確かだ。