隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

やっと訪れた春

青山文平氏のやっと訪れた春を読んだ。

この小説背景はちょっと込み入っている。舞台になっているのは架空の藩である倉橋藩だ。近習目付を拝命してから約40年がたち、長沢圭史はとあることで職を辞すことを決意し、致仕した。そして、同役で同時に近習目付を拝命した団藤匠も職を辞す決意をした。倉橋藩は藩主の直系の家系である岩杉本家と、初代藩主の弟の家系の田島岩杉家が交互に藩主を出すという事を第四代から100年以上も続けている。そのために、近習目付も現藩主と次期藩主とのために二人いた。しかし、次期藩主を出すことになっている田島岩杉家の跡取りが死に、跡取りを出す田島岩杉家には男子は七十八歳の重政しかいなくなった。そして、重政は次の代も含め田島岩杉家のものが藩主につくのは遠慮したいとの願いを出した。このことにより、近習目付も二人必要はなくなったと思われた。二人は近習目付という重い役目から離れ、藩もたすき掛けの藩主という特別な状態から抜け出た。それを指して団藤匠は「この国にも春が来た」と言った。

そうして、この二人の老後の話になるかと言えばそうはならない。重政が何者かに暗殺されたのだ。前の近習目付長沢圭史と引退する予定の団藤匠は個別にこの暗殺事件の目星をつけようと探索することになるのだが、殺害現場の重明神社には犯人に繋がる手掛かりは乏しく、杳として事件につがなる暗殺者は見出されない。

実はこの小説を読んでいて、結構混乱した。この藩の在り方がちょっと特殊という点はあるのだけれど、人名がちょっとおかしく感じたのだ。P29に長沢圭史と団藤匠が近習目付に抜擢されるところの記述があるのだが、「時の藩主は田島岩杉家の十代、重道」「次期藩主だった昌綱」とある。そして、P46に十二代藩主になる予定だった重信が死ぬいきさつがあり、そこで田島岩杉家の残った男子として重政が出てくる。ここで、「重政って誰だろう?重道の弟とかなのだろうか?」と思った。また、P74に「四十歳で田島岩杉家の御当主になられた重政様は、わずか七年で十七歳の嗣子に家督を譲られた。その七年だけ匠は近習目付としてお仕えした」とある。一体どの時点で重政が次期藩主となっていたのだろう?可能なのは正綱の後なのだが、そうだとすると、十七歳で家督を譲られた嗣子は結局次期藩主をさらに子に譲ることになったはずなのだが、そのことが一切書かれていなくて、なんかもやもやしているうちに物語が終わってしまった。この小説に関してはそんな感想しかない。