隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

これはミステリではない

竹本健治氏のこれはミステリではないを読んだ。相変わらずトリッキーな作品だ。

宝条大学のミステリクラブは大学が保有する保養所で例年合宿を開いていた。保養所は深い森に囲まれた湖の小島にポツン建っており(といっても島は孤立しているわけではなく、細長い岬で湖畔に繋がっている)、景観はいいのだが、周りに何もないので、長期の休みを避ければ、宿泊客もいない。そういう時期を選んで合宿を開いているので、いつも貸し切り状態だった。その合宿では、ミステリクラブの面々は「犯人あて」の会を催していた。クラブの誰かが小説を書き、一日目は問題編のコピーを配り、書いた本人によって読み上げられる。他の部員たちはそれを推理し、犯人を推理した過程を書いた回答を提出する。二日目に回答編が読み上げられ、寄せられた回答の採点と作品に対する合評が行われる、というものだ。その年は三年生の山中達也が出題することになっており、山中は合宿の前日の夜11時ごろ、誰かの車で保養所まで連れてきてもらった。その時には同じく三年生の河口栄太郎が既に保養所に到着しており、その様子を確認していた。その時には山中は河口を訪ねることもなく、どこかの部屋に入ったようで、河口も読んでいた本を2時半ごろ読み終えて、眠りについた。その後河口は車が来たような気配を感じ、時計を見ると4時27分だった。

三年生の本栖忠幸と後輩の西が車で到着したのが九時ごろ、四年生の精進佳奈美がバスを利用してやって来たのが十時ごろだった。その頃には濃霧が立ち込めていて、他の部員は保養所には近づけない状態になっていた。西が前泊していた他の部員の様子を確かめていると、山中がベッドで首を絞められて殺されているのを発見した。しかも不思議なことに、彼が準備しているはずの「犯人あて」の小説がなくなっているのだった。

こんな出だしで始まるこの小説なのだが、本書の最後のところに「単行本収録に際し、改題(連載時タイトル「読んではいけない 汎虚学研究会2」)、加筆修正しました」と書かれていて、汎虚学研究会のメンバーはまだ高校生で、こんな登場人物じゃなかったよなぁと思いながら読んでいたら、実はこれはメタ構造になっていた。この部分の事件は、香華大学のミステリクラブが行っている「犯人あて」に出題された小説「読んではいけない」であることが明かされる。香華大学と汎虚学研究会のメンバーが通う聖ミレイユ学園はフランスのカソリック教団によって設立された学校なので、同じ保養所を利用できることになっていて、汎虚学研究会のメンバーが香華大学のミステリクラブの犯人あてに参加しているのだった。

この種明かしを読んで、またあの匣の中の失楽のように物語と作中の作が交互に挟み込まれた複雑な小説になるのだろうかと思ったが、そうはなっていなかった。ただ、物語の方でも「読んではいけない」作者である橘聖斗が殺されて、しかも回答編がなくなっていることがわかってきて、物語は混沌として来る。

本書のタイトルの「これはミステリではない」は意味深だなぁ。連載時のタイトル「読んではいけない」は作中作の小説のタイトルで、その後に続く物語は、物語の中では確かにミステリではない。「読んではいけない」の方は作者が殺されて退場しているが、物語の登場人物により、解決は与えられ、物語の登場人物の合意は取られている。だが、物語の方の橘聖斗事件(汎虚学研究会のストーリー)はなんだかとんでもない結論になっている。あまり多くは書けないが、それはどうだろうというような結末だ。やはり、これは匣の中の失楽と通じるところがあるのだろうか?表紙裏に「これまで僕が書いてきたなかでも最大級に」と書かれていて、その通りだと思った。