米澤穂信氏のIの悲劇を読んだ。
周辺市町村が合併して誕生した南はかま市。その東側に位置した旧・間野市の更に東端に蓑石という村があった。市街地を抜け、交通量の少ない山道を渓流に沿って進んでいくと、左右から暗い山が迫ってくる。道が消えてしまうような錯覚にとらわれるような谷間を通り抜けると、開けた場所に出る。そこが蓑石だ。そこから人がいなくなって六年が経過しており、打ち捨てられて田畑や家々が自然に侵食されている。南はかま市の市長は何を思いついたのか、そこに市の外から新しい住民を呼び込むIターン支援推進プロジェクトを立ち上げた。この物語は、そこに新たに移り住んだ人たちの物語だ。繰り返すが、蓑石は一度誰もいなくなった集落だ。
本作は連作短編になっていて、「Iの悲劇」、「軽い雨」、「浅い池」、「重い本」、「黒い網」、「深い沼」、「白い仏」、「Iの喜劇」の8編が収められている。「Iの悲劇」と「深い沼」は謎らしい謎がなく、つなぎの物語だと思われるが、それ以外は日常の謎の範疇のミステリーで、ストリーで提示される謎はその中で解決されている。
この本を読んで思い出したのは以下の言葉だ。
歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。
こう書いてしまうと、何が起きたかというのは想像がついてしまうだろうが、なぜこのようなことが起きたのかというのが、最後の「Iの喜劇」で種明かしされる趣向になっている。最初からそのように構想して物語を書いていったのかはわからないが、まさに喜劇だ。