隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

楽園とは探偵の不在なり

斜線堂有紀氏の楽園とは探偵の不在なりを読んだ。

この小説は、

一人を殺しても地獄に堕ちないが、二人殺せば地獄行き

という特殊な世界を舞台にしたミステリーだ。二人の人を殺すと、どこからか天使がやってきて、燃え盛る地面に押さえ込んで、地獄に引きずり込んでいくのだ。だが、その天使も、外見は猿のようで、顔が削り取られていてない。空を飛んでるのだから、翼はあるのだが、羽毛ではなく、灰色がかった骨ばったもので、蝙蝠のように皮膚が変化したものなのだろうか。この小説の中では天使と呼ばれているが、外見が醜悪そうで、しかも殺人者を地獄に連れていく様は、天使というより、悪魔の手先のように思えてきた。

さて、このミステリーは「二人殺せば地獄行き」の世界で起きる連続殺人事件を扱っている。隔絶された孤島に集まった11人中、殺された人数は5人。犯人はこの中にいるはずだ。もちろん、「AをBが殺し、BをCが殺し」というような連珠殺人ではない。一人の人間の企みによって5人の人間が死んだのだ。だが、どのようにしてそれが成し遂げられたのかが、このミステリーの最大の謎だ。この小説は巧みに組み立てられていて、差し込まれている挿話は当然伏線だし、その内容が条件を限定していたりという風になっている。

それと、この「楽園とは探偵の不在なり」というタイトルも面白い。天使が現れ、本当にこの世が楽園になって、殺人がなくなったのなら、事件の謎を解く探偵もいらないだろう。しかし、天使が現れた世界では、二人を殺さなければ地獄に落ちないなら、一人を殺すことは許されると考えるものが出てきたり、二人殺して地獄に行くなら、いっそもっとまとめて殺してしまえという考えが出てきたり、より世界は悪くなったように思えるのだ。そう、この世界は楽園などではなく、だから探偵も必要なのだ。

アメリカン・ブッダ

柴田勝家氏のアメリカン・ブッダを読んだ。柴田氏の小説は単なるSFというよりも、観念的なSFだと読むたびに感じる。本書は短編集で、「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」、「鏡石異譚」、「邪義の壁」、「一八九七年:龍動幕の内」、「検疫官」、「アメリカン・ブッダ」の6編が収録されている。

雲南省スー族におけるVR技術の使用例」は生まれた時からVRゴーグルをかけている中国の少数民族はどのような世界を見ているのかという話なのだが、結局はVRゴーグルを書けていようがいまいが、自分が見ているものと他人が見ているものが同じかどうかというのは誰にも分らないという話だ。「鏡石異譚」はILCによって検出された質量が負で時間をさかのぼる粒子(記憶子)とタイムトラベルが関係しているのだろうかという話で、時間改変物かと思うと、単純な時間改変物ではない。このストーリーに遠野物語を絡めている。「邪義の壁」はどちらかというとホラーテイストの小説か。「一八九七年:龍動幕の内」は「ヒト夜の永い夢 」の前日譚のような物語で、南方熊楠が主人公で、孫文とコンビを組んで、ロンドンのハイドパークに現れる『天使』の謎を解く。「検疫官」は物語の流入を防ぐ検疫官の物語。「アメリカン・ブッダ」はアメリ先住民族が、大洪水で荒廃したアメリカで仏教の悟りに至り、仏教の伝道をする話なのだが、ほとんどのアメリカ人は荒廃したアメリカ大陸ではなく、仮想世界に生きている。

この中では「鏡石異譚」が一番面白かった。この話もある種「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」と通じるところがあると思うのだが、自分が経験して覚えていることを客観視したときに、それは他人の経験と同じなのだろうかということと関係している。通常は同じなのだが、本当に同じかと言われると100%の言い切れないところもある。人の記憶とはつくづく不思議なものだ。